大西直宏とは


大西直宏とは


大西 直宏(おおにし なおひろ、1961年9月14日 - )は日本中央競馬会(JRA)の騎手である。美浦所属で現在はフリー。東京都葛飾区出身。


大西直宏の来歴1980年3月1日中山競馬第6競走のダストシルバーで初騎乗(5着)。初勝利は同年3月23日の中山競馬第1競走のハイロータリーで挙げる。この年9勝(うち障害1勝)を挙げ、「民放競馬記者クラブ賞(最優秀新人賞)」を受賞する。

1982年、初勝利を挙げたハイロータリーでアラブ大賞典(秋)を制し、初めての重賞勝利を挙げたものの成績自体は伸び悩む。1987年の東京優駿(日本ダービー)ではサニースワローで22番人気ながら2着(優勝馬はメリーナイス)に入っているが、1991年はわずか1勝に終わるなど、目立った活躍は殆ど無く、マスコミには忘れられた騎手とまで言われ、本人もデビュー以来所属する中尾銑治厩舎の仕事をしながら、調教師への試験の準備を考え始めていたという。

ところが、自厩舎に所属することになったサニーブライアンとの出会いが、大西の名前を全国区に押し上げる。1997年の皐月賞を人気薄ながら逃げ切り、初GI制覇を飾る。これが実は大西にとってはこの年の3勝目で、しかも内2勝がサニーブライアンによるもので、なおかつ重賞勝利もアラブ大賞典(秋)以来の生涯通算2勝目(グレード重賞初勝利)という、これはGI勝利ジョッキーとしては、当時近年稀に見ることとして話題となった。また、14年4ヶ月ぶりの重賞勝利は、JRAの新記録である。

次走の東京優駿(日本ダービー)も、皐月賞をフロック視するマスコミの低評価を嘲笑うかのように鮮やかな逃げ切りを見せ、二冠を達成した。「ダービーの1番人気なんていりません、1着がほしいんです」の名言で競馬ファンを沸かせた。ちなみに、同馬はサニースワローの甥であり、馬主も厩舎も鞍上も同じなら、作戦まで同じ逃げということでも話題になった。

元々騎乗技術には定評があった割に、長い間、騎乗馬に恵まれなかった。これは、大西自身のシャイな性格のため、競馬サークル内での人間関係づくりがやや不得手だったことによるとも言われる。

とはいえ、ダービージョッキーとなって以降は騎乗回数も大幅に増え、それに比例して勝ち星も増えていった。2000年にはマイネルコンバットでジャパンダートダービーを優勝、史上初の芝とダートのダービーを共に制覇した騎手としてもその名を残す。

また新装オープンした新潟競馬の直線競馬競走の初勝利騎手としても名を残す一方、近年はローカル競馬を中心に渋い働きを見せている。2002年に自己最高の45勝を挙げ、2004年はカルストンライトオに騎乗しスプリンターズステークスを優勝した。同馬とのコンビでは、新潟競馬場の直線コースで行われるアイビスサマーダッシュを二度制している。これもあり、新潟巧者、直線巧者というイメージが強い。

皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・ジャパンダートダービー・スプリンターズステークスとGI4勝の全てが逃げ切りで、そのためどうしても逃げ先行のイメージが強いが、後方からの競馬もそつなくこなす。また、彼のGIタイトルが示すとおり、距離の長短も問わない。

2006年12月6日に引退届を提出、同17日の中山開催での引退が決定した。引退後は競馬の専門学校ジャパンホースマンアカデミーで特別講師となる予定。


大西直宏とは主な勝鞍アラブ大賞典(秋)(1982年)(ハイロータリー)
皐月賞(1997年・GI)(サニーブライアン)
東京優駿(日本ダービー)(1997年・GI)(サニーブライアン)
ラジオたんぱ賞(2000年・GIII)(ルネッサンス)
ジャパンダートダービー(2000年・統一GI)(マイネルコンバット)
福島記念(2001年・GIII)(ミヤギロドリゴ)
アイビスサマーダッシュ(2002年・GIII)(カルストンライトオ)
シリウスステークス(2003年・GIII)(マイネルセレクト)
福島記念(2003年・GIII)(メイショウドメニカ)
新潟大賞典(2004年・GIII)(マイネルアムンゼン)
エプソムカップ(2004年・GIII)(マイネルアムンゼン)
アイビスサマーダッシュ(2004年・GIII)(カルストンライトオ)
スプリンターズステークス(2004年・GI)(カルストンライトオ)








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アドマイヤムーン とは

アドマイヤムーン とは

アドマイヤムーン 性別 牡
毛色 鹿毛
品種 サラブレッド
生誕 2003年2月23日
死没 (現役競走馬)
父 エンドスウィープ
母 マイケイティーズ
生産 ノーザンファーム
生国 日本(北海道早来町)
馬主 近藤利一
調教師 松田博資(栗東)
競走成績 10戦6勝
獲得賞金 2億8403万円

アドマイヤムーン(2003年 - )は日本の競走馬。

アドマイヤムーンの戦績

アドマイヤムーンの2歳

2005年7月10日、函館競馬の第5競走でデビュー。5番人気ながらも勝利。以降本田優とのコンビで3連勝したが、4戦目のラジオたんぱ杯2歳ステークス(GIII)では、1番人気に推されるもサクラメガワンダーに差されて2着に終わり、初の敗北を喫した。


アドマイヤムーンの3歳

2006年の初戦は共同通信杯。この競走から鞍上が武豊に乗り替わる。ショウナンタキオン、フサイチリシャール等の有力馬が揃う中、2番人気に推される。

1番人気のフサイチリシャールが先行するが、最後の直線で差しきり重賞2勝目をあげた。同時に武豊もその年最初の重賞勝利となった。続いての皐月賞トライアルの弥生賞では、唯一敗戦を喫したサクラメガワンダーなどを相手に最後の直線で差し切り勝利、皐月賞の優先出走権を得た。

武豊が無敗での皐月賞出走となったフサイチジャンクとどちらに騎乗するか注目されたが、アドマイヤムーンに騎乗することが決定した。しかし、結果は4着に敗れフサイチジャンクにも先着を許してしまった。

さらに次走東京優駿(日本ダービー)ではアドマイヤメインとどちらに騎乗するかが注目されたが武豊はアドマイヤムーンを選んだ。結果は7着と大敗しアドマイヤメインにも先着を許す結果となってしまった。

夏には札幌記念に出走。このレースで初の古馬との対決となったが、後方から差し切り勝利を収めクラシックでの雪辱を果たした。そして続いてはクラシック三戦目の菊花賞ではなく、古馬との混合戦である天皇賞(秋)に出走。しかし後方から追い込んできたものの届かず3着に敗れた。

しかし2006年12月10日の香港マイルで惜しくもプライドの2着。
2007年が楽しみだ。


アドマイヤムーン成績表
年月日 競馬場 レース名 格 距離 騎手 重量 着
順 人気/
頭数 タイム 馬
場 1着馬(2着馬) タイム

2005/07/10 函館 2歳新馬 芝1800 本田優 54 1 5/16 1:54.4 良 (グラスウィーク) +0.4
08/27 札幌 クローバー賞 OP 芝1500 本田優 54 1 1/10 1.29.5 良 (ニシノアンサー) 0
10/01 札幌 札幌2歳S GIII 芝1800 本田優 55 1 1/13 1.50.4 良 (ディープエアー) +0.2
12/24 阪神 ラジオたんぱ杯2歳S GIII 芝2000 本田優 55 2 1/12 2.01.9 良 サクラメガワンダー 0
2006/02/05 東京 共同通信杯 GIII 芝1800 武豊 57 1 2/11 1.48.4 良 (フサイチリシャール) +0.1
03/05 中山 弥生賞 GII 芝2000 武豊 56 1 1/10 2.01.5 良 (グロリアスウィーク) +0.1
04/16 中山 皐月賞 GI 芝2000 武豊 57 4 1/18 2.00.4 良 メイショウサムソン -0.5
05/28 東京 東京優駿 GI 芝2400 武豊 57 7 3/18 2.28.8 稍重 メイショウサムソン -0.9
08/20 札幌 札幌記念 GII 芝2000 武豊 54 1 1/16 2.00.3 良 (レクレドール) +0.2
10/29 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000 武豊 56 3 2/17 1.59.0 良 ダイワメジャー -0.2


アドマイヤムーン血統表アドマイヤムーンの血統 (ミスタープロスペクター系/Nearctic5×5=6.25%)


*エンドスウィープ
End Sweep
1991 鹿毛 *フォーティナイナー
Forty Niner
1985 栗毛 Mr.Prospector Raise a Native
Gold Digger
File Tom Rolfe
Continue
Broom Dance
1979 鹿毛 Dance Spell Northern Dancer
Obeah
Witching Hour Thinking Cap
Enchanted Eye


マイケイティーズ
1998 黒鹿毛 *サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛 Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
*ケイティーズファースト
Katies First
1987 鹿毛 Kris Sharpen Up
Doubly Sure
Katies *ノノアルコ
Mortefontaine F-No.7-f





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アジアマイルチャレンジとは


アジアマイルチャレンジとは

アジアマイルチャレンジ(Asian Mile Challenge)は、2005年から創設されたアジアの競馬の国際競走シリーズ。

このシリーズは日本の日本中央競馬会(JRA)と香港の香港ジョッキークラブ(HKJC)が共同主催提携を結んで、年度上半期に1600mの距離で争われる香港の「チャンピオンズマイル」と日本の「安田記念」の2競走を対象にアジア各国のマイラーホースに広く参加を呼びかけレベルアップを図る目的で開催された。

2006年度にはオーストラリアのメルボルンレーシングクラブとアラブ首長国連邦(ドバイ)のドバイレーシングクラブが新たに参入し、両国の「フューチュリティステークス」と「ドバイデューティーフリー」の2競走が加わった。



アジアマイルチャレンジ主なシリーズ概況シリーズ4競走のうち2競走以上で優勝した競走馬にはボーナスを支給する。内訳は以下の表のとおり
勝利数 賞金額 日本円レート
2勝 100万USドル 1億1,500万円
3勝 200万USドル 2億3,000万円
全勝 400万USドル 4億6,000万円

外国馬の出走可能頭数
チャンピオンズマイル 7頭(フルゲート14頭)
安田記念 9頭(同18頭)
主催者は外国馬の関係者に対して旅行費用、宿泊費等を支給する。

アジアマイルチャレンジ 2006年度の対象競走
施行日 競走名 格付 開催国 施行競馬場 施行コース
第1戦 3月4日 フューチュリティステークス 国際Grade I オーストラリア コーフィールド競馬場 芝1600m
第2戦 3月25日 ドバイデューティーフリー 国際Grade I アラブ首長国連邦 ナド・アルシバ競馬場 芝1777m
第3戦 5月3日 チャンピオンズマイル 香港Group I 中華人民共和国 沙田競馬場 芝1600m
第4戦 6月4日 安田記念 国際Grade I 日本 東京競馬場 芝1600m

アジアマイルチャレンジの歴代の総合優勝馬
年度 総合優勝馬 フューチュリティS ドバイデューティーフリー チャンピオンズマイル 安田記念
2005年 該当なし 対象外 対象外 ブリッシュラック アサクサデンエン
2006年 ブリッシュラック フィールズオブオマー デヴィッドジュニア ブリッシュラック ブリッシュラック




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アストンマーチャンとは


アストンマーチャン とは

アストンマーチャン 性別 牝
毛色 鹿毛
品種 サラブレッド
生誕 2004年3月5日
死没 (現役競走馬)
父 アドマイヤコジーン
母 ラスリングカプス
生産 社台ファーム
生国 日本(北海道千歳市)
馬主 戸佐眞弓
調教師 石坂正(栗東)
競走成績 4戦3勝
獲得賞金 7285万7000円

アストンマーチャンは日本の競走馬。主な勝鞍はファンタジーステークス、小倉2歳ステークス。2007年の牝馬クラシックの有力候補と目されている。


アストンマーチャン馬名の由来
イギリスの高級車アストンマーチンと馬主の名前をもじったもの。アストンマーチンのように速く走ることを願って名付けられた。


アストンマーチャン戦績

2006年7月、小倉競馬場でデビュー。新馬戦こそクビ差及ばず2着に敗れるも、2戦目の未勝利戦で、単勝1.3倍の人気に応えて順当に勝ち上がった。

続く小倉2歳ステークスでは、フェニックス賞を制したシルバーストーンに人気が集まり、アストンマーチャンは3番人気。レースは序盤の3ハロンの通過タイムが32秒5というハイペースで展開する中、2番手を追走。4コーナーで先頭に立つと、そのまま2馬身半差をつけるという力強い競馬で重賞初制覇を果たした。さらに、鞍上の鮫島良太にとってもこれが重賞初勝利であった。

この後は、ファンタジーステークスに出走。鞍上が武豊に乗り替わったものの、有力馬が揃ったことや距離延長も不安視され、3番人気にとどまった。道中では好位につけ、直線半ばから一気に抜け出し、イクスキューズに5馬身差をつけ勝利を飾った。レース中に左後脚を落鉄したにも拘らず、勝ち時計は1分20秒3。2歳レコードでの重賞連覇だった。


アストンマーチャン
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アロンダイトとは


アロンダイトとは


アロンダイト 性別 牡
毛色 黒鹿毛
品種 サラブレッド
生誕 2003年5月4日
死没 現役競走馬
父 エルコンドルパサー
母 キャサリーンパー
生産 ノーザンファーム
生国 日本(北海道早来町)
馬主 キャロットファーム
調教師 石坂正(栗東)
競走成績 8戦5勝
獲得賞金 1億8069万9000円

アロンダイトはJRA所属の競走馬である。管理調教師は栗東の石坂正。重賞初挑戦となった2006年11月25日のジャパンカップダートで優勝を果たした。



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内田博幸とは


内田博幸とは


アジュディミツオーに騎乗する内田博幸(2005年12月29日 大井競馬場)内田 博幸(うちだ ひろゆき、1970年7月26日 - )は騎手。大井競馬場の荒井隆厩舎に所属。福岡県三潴町(現・久留米市)出身。兄の秀一も佐賀、川崎に所属し、通算527勝を上げた元騎手である。

勝負服の柄は胴青・赤山形一文字・袖白。


内田博幸の来歴1989年4月6日にデビュー。初勝利は同年5月7日に挙げる。当初は赤間清松厩舎所属。

1990年代には「追える若手騎手」として南関東地区では知られる存在であったが、2000年頃から従来南関東リーディングを争っていた的場文男、石崎隆之に完全に肩を並べるようになり、2004年は413勝をあげ、的場、石崎から南関東リーディングの座を奪った。

内田博幸は2005年には465勝(他にJRAで31勝)をあげ、2年連続の南関東リーディングジョッキーとなった。その上、南関東エリアの4競馬場(大井競馬場、川崎競馬場、船橋競馬場、浦和競馬場)全てで、その競馬場でのリーディングを獲得するという、特筆すべき活躍ぶりを見せている(従来は石崎、的場のどちらかが南関東のリーディングであっても、それぞれ自らの所属する競馬場でのリーディングだけは相手に譲らないなど、「完全制覇」をすること自体がまれであり、これは佐々木竹見以来の偉業である)。同年には通算2000勝を達成し、名実共に現代の地方競馬を代表する騎手の一人となった。 2006年7月18日には通算2500勝を達成。これは、南関東史上9人目、南関東現役では4人目の記録である。

2005年3月26日に開催されたドバイワールドカップには、アジュディミツオーと共に地方競馬からの初参戦を果たすが6着に終わった。

現在、地方競馬のトップ騎手であり、2006年にはJRAで2年連続20勝を達成した事でJRA騎手免許試験の1次試験免除の条件を満たしたことから、中央競馬への移籍も噂されているが、本人は日本における騎手免許の一元化を希望しているため今のところは地方競馬の騎手を続けていくつもりのようである。また、2006年には佐々木竹見の不滅の金字塔と言われた3年連続400勝突破を達成し、また、佐々木の持つ年間505勝の日本記録にも迫る勢いである。

中央競馬にも騎乗機会を確保できれば積極的に参戦する姿勢を見せており、重賞は2003年の共同通信杯をラントゥザフリーズで、2005年のニュージーランドトロフィーをマイネルハーティーで制している。2005年の朝日杯フューチュリティステークスでは、スーパーホーネットの手綱を取り、惜しくも2着となった。2006年3月4日、中山競馬第11競走で同年より重賞となったオーシャンステークスを船橋競馬所属のネイティヴハートで16頭立ての14番人気という低評価を見事に覆して勝利を納め、中央競馬ファンにも豪腕ぶりを見せ付けた。さらには同年4月2日の中山競馬で、地方競馬所属騎手として初の12競走中6勝するという快挙を成し遂げ、8月20日の新潟競馬7レースでアナナスに騎乗し、JRA通算100勝をあげた。ちなみに同日の札幌競馬5レースでは、同じく地方出身の岩田康誠がJRA通算200勝をあげている。そしてついに9月30日、JRA年間56勝を達成し安藤勝己のJRA所属外騎手最多勝記録である55勝を更新した。

特徴であるダイナミックな追いのフォームは遠くから見ても内田が乗っているとわかるほどである。

地元大井競馬場では人気馬でよく負けるために多くのファンから八百長だと思われているが、八百長ではないのは当然である。


内田博幸の主な重賞勝ち鞍
南関東競馬
ジャパンダートダービー:フレンドシップ(2006年)
桜花賞:チャームアスリープ(2006年)
かしわ記念:ストロングブラッド(2005年)、アジュディミツオー(2006年)
羽田盃:シーチャリオット(2005年)
東京ダービー:シーチャリオット(2005年)
関東オークス:チャームアスリープ(2006年)
東京大賞典:アジュディミツオー(2004、2005年)
川崎記念:アジュディミツオー(2006年)
帝王賞:アジュディミツオー(2006年)
ダイオライト記念:ヴァーミリアン(2006年)
京浜盃:サワライチバン(2006年)
マイルグランプリ:アジュディミツオー(2006年)
その他の地区
栗駒賞(水沢):ハタノアドニス(2003年)
JRA
共同通信杯:ラントゥザフリーズ(2003年)
ニュージーランドトロフィー:マイネルハーティー(2005年)
根岸ステークス:リミットレスビッド(2006年)
オーシャンステークス:ネイティヴハート(2006年)






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岡部玲子とは


岡部玲子とは


岡部玲子(おかべ れいこ、岡部令子から改名。1979年7月30日 - )は、東京都出身の女性タレント。血液型はA型。

テレビ東京系列のオーディション番組『夢☆おうえん隊』(司会:チェリッシュ)にて選抜され、同番組のアイドルグループ『ゆめっこ☆娘』の一員として、神戸みゆきらと共に活動する。その後、フジテレビ系列の『めざましテレビ』ではレポーター役をこなし、バラエティ番組からモデル、CMなどにも活躍の幅を広げている。

JRA元騎手(現・競馬評論家)の岡部幸雄とは親戚関係にある。

また、おかめ納豆初代CFのおかめちゃんだったことはあまり知られていない。

岡部玲子の出演

岡部玲子の2006年現在出演中の番組
中央競馬中継WEST(グリーンチャンネル)
クラシックパーク(グリーンチャンネル)
エキサイティング競馬 - 司会アシスタント(福島テレビ、4月・10月の福島開催時)
J-HITS POWER STATION - 火曜パーソナリティ(FM富士)
松本和巳のカイシャをつくろう - 司会アシスタント(文化放送)
中野英雄のおやじでいこう! - 司会アシスタント(ラジオ日本)
BAY LINE 7300 - 木曜パーソナリティ(bayfm)

岡部玲子の過去の主な出演番組とりあえずイイ感じ。 - プレゼンター(日本テレビ)
王様のブランチ - 中継レポーター(TBS)
めざましテレビ〜走れ!!めざまし調査隊〜 - レポーター(フジテレビ)
恋するアミパラ - レポーター(テレビ朝日)
FUTURE PIRATE - 司会(BS朝日)
あしたのG - スタジオレギュラー (フジテレビ)
汐留スタイル! - 「おトメちゃんず」として金曜日レギュラー(日本テレビ)









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ウィジャボードとは


ウィジャボードとは

ウィジャボード 性別 牝
毛色 鹿毛
品種 サラブレッド
生誕 2001年5月6日
死没 (現役競走馬)
父 ケープクロス
母 セレクションボード
生産 スタンレー牧場
生国 イギリス
馬主 19代ダービー伯爵
調教師 エドワード A.L.ダンロップ
競走成績 21戦10勝

ウイジャボード(Ouija board)はイギリスの競走馬。2004年の欧州年度代表馬(カルティエ賞年度代表馬)並びに同年のアメリカ最優秀芝牝馬(エクリプス賞芝牝馬チャンピオン)を受賞している。馬主である第19代ダービー伯爵はウイジャボードが唯一の所有馬である。

名前の由来は、Ouija Board(霊応盤:心霊術で使われる占い用のボード)より。祖母Ouijaと母Selection Boardからの連想。


ウイジャボードの戦績
2歳時の2003年は、10月にデビューし初戦は3着に破れたものの、次走は4馬身差圧勝。この年はもう1戦(3着)でシーズンを終えた。

2004年になると初戦のプリティーポリーステークスを6馬身差で勝ちオークスの有力候補に躍り出た。そのオークスでは4番人気に押され、1番人気オールトゥービューティフルを7馬身もちぎり圧勝、そして1か月半後のアイリッシュオークスもレースレコードで難なく制覇すると3ヶ月の休みをはさみ凱旋門賞に向かった。凱旋門賞は牡馬の強豪が集まることから6番人気にすぎなかったが、結果はバゴ、チェリーミックスに次ぐ3着と健闘した。ヨーロッパシーズン終了後はアメリカに遠征し、ブリーダーズカップ・フィリー&メアターフを勝利している。2004年は牡馬に中心的な存在がおらず、オークス7馬身差圧勝、牡馬に混じっての凱旋門賞3着、遠征先での勝利などの実績が決め手となり2004年カルティエ賞年度代表馬を受賞した。

2005年も現役続行し、コロネーションカップに出走予定も左前足に腫瘍が見つかりプリンスオブウェールズステークスに回る。しかし2番人気に応えられず7着に終わったうえ、落鉄の影響で裂蹄を発症してしまい休養に入った。相手にも恵まれたプリンセスロイヤルステークスでは復帰戦を勝利で飾ったが、連覇を狙ったブリーダーズカップ・フィリー&メアターフではインターコンチネンタルの2着に敗れた。次走をジャパンカップに定めるものの、高速競馬しかも2分22秒1という日本レコードでの決着では分が悪く5着に敗れた。そして中1週の強行軍で挑んだ香港ヴァーズでは牡馬の強豪を従えて見事優勝を果たし、欧州年度代表馬の威厳を保った。

さらに翌2006年も現役を続ける。初戦に選んだドバイシーマクラシックではハーツクライの4着、その後もクイーンエリザベス2世カップ3着、コロネーションカップ2着と、善戦はするものの勝ちきれないレースが続いていたが、同年4戦目となったプリンスオブウェールズステークスでは、2006年のドバイワールドカップ馬エレクトロキューショニスト、ドバイデューティーフリー馬デヴィッドジュニアーらを下し、昨年の香港ヴァーズ以来となる勝利を飾った。次走の3歳上牝馬限定で行われるナッソーステークスでは1番人気に支持され、3番人気アレクサンダーゴールドランに頭差をつけて優勝した。続く、アイリッシュチャンピオンステークスでは2番人気に支持され、1番人気ディラントーマスと叩き合いの末、クビ差の2着に敗れた。3度目の出走となるブリーダーズカップ・フィリー&メアターフでは1番人気に支持され、見事に同レース2度目の優勝を果たし、G1・7勝目を挙げた。また、2006年度カルティエ賞年度代表馬、同最優秀古馬を受賞した。この年度代表馬の受賞は2004年以来2度目の受賞であり、カルティエ賞が創設以来初めて、2度の年度代表馬となった。

牡馬と比べて能力のピークが短いと言われる牝馬でありながら、3年連続でG1を制覇しており、息の長い活躍を見せている。


ウイジャボードの成績
全21戦10勝

2003年(3戦1勝)
2004年(5戦4勝) カルティエ賞年度代表馬、同最優秀3歳牝馬、エクリプス賞芝牝馬チャンピオン
1着 - エプソムオークス、アイリッシュオークス、ブリーダーズカップ・フィリー&メアターフ
3着 - 凱旋門賞
ワールドサラブレッドレースホースランキング - L120(牝馬1位、世界26位、セックスアローワンスを考えると実質9位)
2005年(5戦2勝)
1着 − 香港ヴァーズ、プリンセスロイヤルステークス
2006年(8戦3勝) カルティエ賞年度代表馬、同最優秀古馬
1着 − プリンスオブウェールズステークス、ナッソーステークス、ブリーダーズカップ・フィリー&メアターフ

ウイジャボードの血統表
ウィジャボードの血統 (ダンチヒ系(ノーザンダンサー系)/アウトクロス)


Cape Cross
1994 黒鹿毛 Green Desert Danzig Northern Dancer
Pas de Nom
Foreign Courier Sir Ivor
Courtly Dee
Park Appeal Ahonoora Lorenzaccio
Helen Nichols
Balidaress Balidar
Innocence


Selection Board
1982 鹿毛 Welsh Pageant Tudor Melody Tudor Minstrel
Matelda
Picture Light Court Martial
Queen of Light
Ouija Silly Season Tom Fool
Double Deal
Samanda Alycidon
Gradisca F-No.12-b




"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89_%28%E7%AB%B6%E8%B5%B0%E9%A6%AC%29" より作成
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馬っ気(うまっけ)とは


馬っ気(うまっけ)とは

 牡馬が発情した状態で、馬房内や、下見所で男性のシンボルを勃起させることをいう。

下見所でこんな状態になるときは関係者が水をかけて静めたりするが、異常に興奮しているので競走能力に影響することが多い。

こういったクセを起こしやすい馬に対してはプラスチックの輪をはめ込む予防法があると聞くが、競走馬で使用することは少ない。

比較的レース経験の浅い馬に見かける現象で、キャリアを積んだ古馬は下見所で馬っ気を出すことはほとんどない。
posted by 競馬の錬金術師 at 17:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

1完歩(いちかんぽ) とは


1完歩(いちかんぽ) とは

 馬の歩幅のことで、走っているときの1完歩は7〜8メートルと言われている。この完歩の大きさとピッチでその馬のスピードが分かるわけだが、調子の良いときほど完歩は大きくなり、1ハロンの歩数で調子の良し悪しを見分けている調教パートナー(騎手など)もいる。
posted by 競馬の錬金術師 at 17:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

育成牧場(いくせいぼくじょう) とは



育成牧場(いくせいぼくじょう) とは
 牧場で生産された馬が競走馬としての基礎的訓練や調教をする牧場のことをいいます。

大きな生産牧場では育成のための施設も備えているが、小規模の生産牧場では調教コースなどもてないため、生産地に育成調教の場を作るようになったのです。

これが育成牧場でおもにデビューまでの育成を行うもの。このほかに競走馬の休養、調整を行うための育成牧場もあり、これはトレセン近くに調教施設を持ち、競走馬の仕上げの一端を担っている。入厩頭数が限られているため、馬の入れ替えなどにこういった育成牧場を利用する厩舎も増えている。
posted by 競馬の錬金術師 at 17:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

息を入れる とは


息を入れる とは

 スタートからゴールまで一気呵成に走ることはとても無理で、レース中にひと息入れることをさします。

道中競り合う形で走っていると息が入らなくてバテてしまうというケースは良く見かけるし、後方から行く馬でもうまく息が入らないと最後のスパートが利かず、追い込み不発に終わることになる。

うまい騎手はこの息の入れ方が上手なものだ。またレース間隔を開けるときひと息入れると言うが、使い込んでいて疲れをとるときやリフレッシュを図るときで、故障で休養するときには言わない。

息が入(はい)るという場合はレースや調教の後、息の上がった状態から、通常の呼吸の状態に戻ることで、「息の入りがいい」と言うように使う。
タグ:息を入れる
posted by 競馬の錬金術師 at 17:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

アーニングインデックス とは


アーニングインデックス とは

 種牡馬の優劣を判定するためのひとつの目安で、出走馬1頭あたりの収得賞金の平均値を1として、各々の種牡馬の産駒の平均収得賞金の割合を数値で表したものです。

1.00が平均となり数値が大きくなるほど産駒の獲得賞金が多いことを表す。これを算式にすると
(産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)÷(出走馬総収得賞金÷総出走頭数)となる。
posted by 競馬の錬金術師 at 17:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

併せ馬(あわせうま)とは


併せ馬(あわせうま)とは

 調教で、2頭、3頭あるいはそれ以上の頭数で並んで走らせることを1頭で走らせる(単走)に対して併走、あるいは併せ馬という。馬に競争意識をつけるために行う場合が多く、3歳馬のデビュー前などはほとんどの馬が併せ馬で調教される。

また内、外に行きたがる癖のある馬を矯正するために行きたがる反対側に馬をおいて併せ馬を行うこともある。併せ馬をすると競り合うので単走のときに比べタイムが速くなるのが普通。また外に併せる馬は内に入る馬より能力的に上位の馬が多く先着することも多いので、内に併せて先着するような馬は、調子を上げてきている馬と見て良い。
posted by 競馬の錬金術師 at 17:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

脚色(あしいろ)とは



脚色(あしいろ)とは

 脚勢のことを脚色という。

能力を出し切ってスピードが衰えたとき脚色が悪いといい、まだ余力があり、追えば伸びる状態のとき脚色がいいというように使う。

似たような言葉で脚がある(ない)というのがあるが、脚があるという場合は、脚色がよいと同じ意味にも使うし、決め脚がある、能力があるという意味から一瞬の脚がある、勝つ脚があるなどと使われる。

逆に脚がないという場合は脚色が悪いという意味、あるいは他馬と比べて能力がないという意味でこの馬は脚がないというように使われる。また“脚をなくす”というのはレース前半に脚(能力)を使い末脚を失うことで、最後の踏ん張りの利かない状態をいう。また、一杯、強め、馬なりなどは脚色を表す言葉です。
posted by 競馬の錬金術師 at 17:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

上り馬(あがりうま)とは


上り馬(あがりうま)とは

 調子の昇(上)ってきている馬。一般には下級条件から短期間のうちに2連勝、3連勝と一挙に上位クラスに上がっていく馬をいう。上昇線をたどっている馬は不利な条件(斤量、道悪など)を克服することが多いようです。
posted by 競馬の錬金術師 at 17:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

上がり(あがり)とは


上がり(あがり)とは

 ゴールから逆算して3ハロン(600メートル)のことをさします。

また4ハロン(800メートル)を合わせて言うこともある。「上がり50−38」といえば上がりの4ハロン50秒、3ハロン38秒ということになる。

この上がり3ハロンに要したタイムを上がりタイムと言っている。

競馬場の着順掲示板の下(または横)に出ている数字が、そのレースで要した上がりタイムで、4ハロン、3ハロンそれぞれのタイムだ。上がりタイムの速い遅いでそのレースの性格がわかるほどで、重要なデータのひとつです。
posted by 競馬の錬金術師 at 17:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

アウトブリード とは

アウトブリード とは

 異系交配、異系繁殖のことをさします。

サラブレッドの生産は近親交配(インブリード)をもとに作られてきたが、比較的血縁関係の遠いもの薄いものをアウトブリードと言っている。

アウトブリードかインブリードかは程度の問題であって、どこを境にアウトブリードと決めるのか、明確かつ共通の定義はない。

5代前までを表記した血統表が主流である現在、5代前まで遡っても父と母に共通の馬が現れないものをアウトブリードと呼ぶことが多い。

アウトブリードには、5代血統表中に同一の馬が1頭も現れない型と、父(母)がインブリードを所有していても、配合相手馬とはまったく血縁関係のない型の2種類がある。

専門家の中には、この2種類を厳密に区別して、後者のみをアウトブリードと定義(前者はアウトクロスとして分類)する人もいる。いずれにしても、父の血統及び母の血統に同じ馬名が現れないという点では共通している。
posted by 競馬の錬金術師 at 17:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

オープン とは


オープン とは 

オープンレースとは、すべての馬が出走できるレースのことをいいます。

オープン馬とは最高条件(賞金で分けられたクラスを超えた収得賞金の多い馬)のことです。

どの馬にも開放されているのがオープンレースの主旨ですが、現状のオープンレースでは未勝利馬を除くとか〇〇万以下の馬を除くといった条件がつけられています。

ある程度賞金を稼いでないとオープンレースには出走できないのが実情です。また、オープン馬イコール素質馬という意味合いもあり、条件馬であっても「オープン級の器」などと使われることはよくあります。
タグ:オープン
posted by 競馬の錬金術師 at 17:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

オーバーシード とは


オーバーシード とは

 競馬場の芝コースは野芝が張られているが、秋以降になると枯れてくるし道悪での競馬があると傷みも激しくなるため、この野芝の上に冬場に強い洋芝の種をまき、冬期でも緑の芝生で競馬が出来るようにしている。

このことをオーバーシードと呼んでいる。’91年の阪神競馬場から始まり、現在冬期に競馬の行われる競馬場で実施されている。
posted by 競馬の錬金術師 at 17:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

オーナーブリーダー とは


オーナーブリーダー とは 

馬主であり、生産者でもある人のこと。もともと生産者である人が、馬を他人に売らず走らせるようになった馬主もいるが、馬主がよりよい馬を安く手に入れるという目的で生産牧場をもつというケースも多い。
posted by 競馬の錬金術師 at 17:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

下ろす(おろす) とは


下ろす(おろす) とは
 競馬にはじめて出走させることをさします。

「次の開催の初日に下ろそう……」というように使う。また障害に初めて走らせるときも「障害に下ろす」という。

中央競馬で競走していた馬を地方(公営)に転出させるときには「地方に下ろす」というように“上がる”の反対語。

このほかにも今まで騎乗していた騎手を何らかの理由で替えるときに「おろす(おろした)」と使われる。
posted by 競馬の錬金術師 at 17:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

折り合い とは



折り合い とは

 馬と騎手との呼吸がぴったり合うことです。
騎手が抑えたいのに行きたがって抑えが利かないこともあるが、こういう状態を折り合いを欠く、または折り合っていない、折り合いがつかない、などという。

逆に騎手の思いのままレースをしている姿は折り合いのついた状態である。折り合いがつかないと馬の能力を出し切れないため、ジョッキーは皆この折り合いをつけることに全力をそそいでいる。人馬一体になることを「鞍上人なく鞍下馬なし」というが、これは折り合いのついた状態を表す言葉である。また、折れ合いという人もいるが意味は全く同じ。
タグ:折り合い 
posted by 競馬の錬金術師 at 17:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

親子丼(おやこどんぶり) とは


親子丼(おやこどんぶり) とは
 ひとつのレースで同じ厩舎、または同じ馬主の馬が1、2着を独占したことをいう。一般に「〇〇(厩舎または馬主の名前)の親子どんぶり」というように使われている。
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重いとは


重いとは
 馬体が重いとよく使われるが、重っくるしいという意味です。

素軽さがないということで、動きが重いともいう。体重が増えて目方が重いときも同じように「重い」という言葉が使われているが、前後の内容とニュアンスで使い分けられている。

似た言葉に太いというのがありますが、これはあくまで外見上太く見えるということで、馬体が絞りきれない状態のこと。また、負担重量が重いとき「斤量が重い」というし、馬場が悪いときは「下(馬場)が重い」などという。
タグ:重い
posted by 競馬の錬金術師 at 17:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

おかぐら とは


おかぐら とは

馬の耳は普通はピンと立っているものだが、横に垂れている馬もときに見かける。これが神楽舞の獅子の耳に似ていることから、おかぐら耳といわれるようになった。

耳のつけ根にゆるみがあり力強さはないが、“お神楽にソツなし”と言って喜ぶ人もいるように馬の能力に関係ない。昭和48年オークス馬となったナスノチグサがこの耳だった。また、フランスではジェベルの耳と言う。
タグ:おかぐら
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追い切り(おいきり)とは


追い切り(おいきり)とは
 各馬の出走(土・日)の2、3日前の水、木曜日に最後の仕上げとして追われる調教のこと。この追い切りという言葉には多分に一杯に追うという意味あいがある。出走に際しての調子の把握と馬体の調整を目的とするので、単に速いタイムを出すということだけでなく、動き(脚色)の良し悪しがポイントとなり、これを見分けるのがトラックマンの仕事。本紙では“調教短評”“調教解説”などで各馬の状態を詳細にお届けしている。またこの追い切りの日を追い日と呼んでいる。
posted by 競馬の錬金術師 at 16:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

お手馬(おてうま) とは


お手馬(おてうま)とは

 いつも同じ騎手が調教しまたレースに騎乗していて、その馬の癖や性格など熟知している馬のことです。お手馬手綱いらずという言葉があるくらいで、これは安心してみていられる馬と騎手との関係を表しています。

一般にはベテラン騎手や有名ジョッキーの方がうまいとされているが、若手や見習い騎手でも乗りなれた馬の場合「この馬はお手馬だから」というように一目置かれることがあります。
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オグリキャップとは


オグリキャップとは

オグリキャップ

笠松競馬場正門横にはオグリキャップ像がある。

性別 牡
毛色 芦毛
品種 サラブレッド
生誕 1985年3月27日
父 ダンシングキャップ
母 ホワイトナルビー
生産 稲葉不奈男
生国 日本(北海道三石町)
馬主 小栗孝一
→佐橋五十雄
→近藤俊典
調教師 鷲見昌男(笠松)
→瀬戸口勉(栗東)
競走成績 32戦22勝
獲得賞金 9億1251万2000円
■Template (■ノート)
オグリキャップは日本の競走馬。主な勝ち鞍は有馬記念2回、マイルチャンピオンシップ、安田記念等。ハイセイコー以来のアイドルホースで、競馬ブームを巻き起こした。1990年JRA年度代表馬。1991年、顕彰馬に選出。英文ではOGURI CAPと表記される。



オグリキャップの笠松競馬所属時代1987年に岐阜県笠松競馬場の鷲見昌男厩舎に入厩。5月19日に初戦(ダート800m)を迎えたが、マーチトウショウの2着に敗れた。その後2連勝を挙げるが、4戦目(7月26日)に再びマーチトウショウの2着に敗れた。

その後、1勝を挟んで初重賞の秋風ジュニア(8月30日:ダート1400m)で安藤勝己との初コンビでマーチトウショウ相手に勝利を収め、翌1988年1月10日のゴールドジュニア(ダート1600m)まで白星を重ね、8連勝とした。


オグリキャップの4歳時(中央競馬移籍後)
その後、中央競馬栗東トレーニングセンターの瀬戸口勉厩舎に転厩。中央競馬初戦は3月6日のペガサスステークス(現・アーリントンカップ)。河内洋を鞍上にゴール前鋭く伸びて白星発進。クラシック登録の資格が無かったため、オグリキャップは皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞には出走できず、毎日杯(3月27日)、京都4歳特別(5月8日)、ニュージーランドトロフィー4歳ステークス(6月5日)に出走することとなった。これは、後に追加登録というルールを導入する一因となった。

東上初戦となったニュージーランドトロフィー4歳ステークスは、馬なりで2着リンドホシに7馬身差の圧勝。走破タイムの1分34秒0は、3週前のGI安田記念(優勝馬ニッポーテイオー)の1分34秒2を上回るものであった。その後、高松宮杯(7月10日:当時は芝2000mのGII)、秋初戦の毎日王冠(10月9日)と古馬との対戦でも問題なく勝利を収め、地方から通算の連勝記録を14、重賞の連勝記録を6とした。

初めてのGI挑戦となる天皇賞(秋)(10月30日)では、前年末から天皇賞(春)、宝塚記念を含め重賞5連勝の快進撃を続ける同じ芦毛のタマモクロスとの「芦毛対決」が注目を集めたが、同馬の2着に敗れ、連勝はストップ。続くジャパンカップ(11月27日)でも3着に敗れた(タマモクロス2着、優勝馬はペイザバトラー)。しかし、昭和最後のGIレースとなった年末の有馬記念(12月25日)では、中山競馬場を知り尽くしているという理由で岡部幸雄に騎乗を依頼。このレースが引退レースであったタマモクロス(2着)に初めて先着。初のGI制覇を果たした。同年のJRA賞では同年の4歳クラシックを制した3頭(皐月賞:ヤエノムテキ、東京優駿:サクラチヨノオー、菊花賞:スーパークリーク)をさしおきオグリキャップが最優秀4歳牡馬に選出された。


オグリキャップの5歳時
翌1989年、事情(後述)によりオーナーが佐橋五十雄から近藤俊典に代わった。春シーズンは右前繋靱帯炎で休養を余儀なくされ、秋シーズンはオールカマー(9月17日)で復帰。このレースから前年タマモクロスに騎乗していた南井克巳とのコンビを組み、当時のコースレコードで勝利。続く毎日王冠(10月8日)はイナリワンとの壮絶な叩き合いの末、ハナ差で勝利、史上初の連覇を達成し、天皇賞(秋)(10月29日)に向かう。しかし、同レースでは1番人気に支持されたが最後の直線で前が詰まる不利もあって、武豊騎乗のスーパークリークに敗れ2着に終わる。

その後、中2週でマイルチャンピオンシップ(11月19日)に出走。行きっぷりが悪く道中では騎手が手綱をしごき続けて馬群の中団を追走し、それでも直線入口では5番手。バンブーメモリーに外から一瞬で交わされ離されたが、ようやく速度を上げ、猛然と内ラチ沿いを進んで追い込み、バンブーメモリーをハナ差で退けてGI2勝目を飾る(このとき実況した杉本清アナウンサーの「負けられない南井克巳、譲れない武豊」は名フレーズとなった)。

その後、翌週のジャパンカップ(11月26日)に連闘で挑んだ。同レースでは、外国馬イブンベイが引っ張る1800m通過が当時の同距離のJRAレコードを上回る1分45秒8という超ハイペースの4番手をスーパークリークと並んで追走。最後の直線では、先を行く同じ芦毛の外国馬ホーリックスを追い詰めるが惜しくもクビ差の2着。しかし、走破タイムはホーリックスと同じ2分22秒2であった。ホーリックスの記録したこの走破タイムは、当時のJRAのみならず芝2400mの世界レコード[1]であった。続く有馬記念(12月24日)では1番人気に支持されたが、連闘の疲れが出たためか、この年の天皇賞(春)、宝塚記念を制覇したイナリワンの5着に敗れた。1989年の秋シーズンはわずか3ヵ月半の間に6つのレースに出走した。


オグリキャップの6歳時1990年の初戦、安田記念(5月13日)では、スーパークリーク、バンブーメモリーといったライバルに騎乗し、オグリキャップを苦しめた武豊を初めて鞍上に据えた(これにより当時、競馬ファンが願っていた組み合わせがここに実現し、マスコミでオグリキャップと武豊の組み合わせを「ゴールデンコンビ」と言われた)。レースは当時のコースレコードの1分32秒4で優勝、GI3勝目を飾った。しかし、続く岡潤一郎(故人)騎乗の宝塚記念(6月10日)では直線伸びず、オサイチジョージの2着に敗れる。その後、アーリントンミリオンに登録があったが、右後肢飛節軟腫を発症し海外遠征は立ち消えた。

秋に入り、新たなパートナー増沢末夫を鞍上に3度目の天皇賞(秋)(10月28日)に出走。1番人気に支持され、悲願の天皇賞制覇を狙うがヤエノムテキの6着に敗れ、続くジャパンカップ(11月25日)もベタールースンアップの11着と見せ場もない大敗が続いた。このため、引退の噂や限界説が流れ、その去就が注目されてしまった。

その後同馬は引退を決め、引退レースとなる有馬記念(12月23日)は、ファン投票1位に支持され、当日の中山競馬場には中山競馬場史上最高の17万7779人の入場人員を記録した。しかし、馬券的な人気は国内馬同士の争いにもかかわらず、ジャパンカップに続きオグリキャップとしては最低の4番人気にまで落ち、ジャパンカップ以外では中央競馬2戦目の毎日杯以来、単枠指定にもならなかった。レースは逃げると見られていたミスターシクレノンが出遅れ、オサイチジョージが押し出されるように先頭に立ちスローペースで展開。スタンド前では大歓声に1番人気のホワイトストーンが引っかかる中、オグリキャップは、再び鞍上となった武豊に導かれて落ち着いたレースぶりでスムーズに中団を追走。3コーナーから徐々にペースを上げ、4コーナーで外から先頭に並びかけると最後の直線で抜け出した。そして、大歓声の中、2着のメジロライアンに4分の3馬身差をつけてゴールに飛び込み、見事に限界説を一蹴。「奇跡の復活」、「感動のラストラン」といわれる勝利を収めた。レース後、スタンド前でウイニングランを行うオグリキャップに17万大観衆の「オグリコール」が贈られた。また観客の中には感動で涙を流す姿も見られた。

翌1991年1月、引退式が京都競馬場、笠松競馬場、東京競馬場の3箇所で行われた。競走馬の引退式を3競馬場で行うのは史上初であり、笠松競馬場では入場制限を設けるほどの観客数であった。この引退式でも「オグリコール」が贈られていた。

1992年より、笠松競馬場で同馬を記念した「オグリキャップ記念」が開催されている。2004年まではダートグレード競走であったが、2005年以降は笠松競馬の経営難から東海・北陸・近畿地区ブロック限定競走となった。また、2005年4月29日、30日の両日には笠松競馬場で同馬の一般公開が行われた。


オグリキャップの主な勝ち鞍
地方競馬
秋風ジュニア
ジュニアクラウン
中京盃
中日スポーツ杯
ジュニアグランプリ
ゴールドジュニア
中央競馬
有馬記念(2回)
安田記念
マイルチャンピオンシップ
ニュージーランドトロフィー4歳ステークス
高松宮杯
毎日王冠(2回)
オールカマー
ペガサスステークス
毎日杯
京都4歳特別

オグリキャップの引退後
引退後は18億円という高額のシンジケートが組まれて種牡馬となり、産駒が1994年にデビュー。しかし、初年度産駒のオグリワンこそ東京優駿(日本ダービー)に出走したものの、下級オープン馬をわずかに輩出しただけであった。同年度に種牡馬デビューしたサンデーサイレンスとは天と地の差が開いてしまった。2004年時点では6頭の種付けとなっている。

また、1994年にはスーパークリーク、イナリワン、ヤエノムテキ等のかつてのライバルの産駒もデビューしたが、いずれもこれといった活躍馬を輩出することができず、種牡馬としては失敗と言われる結果となった。

主な産駒
アラマサキャップ
オグリワン
ランスルーザターフ
ノーザンキャップ

オグリキャップの功績と評価オグリキャップはその競走成績以上に日本の競馬界に様々な影響を残した馬である。

オグリキャップの競馬ブーム
オグリキャップはバブル景気と相まって競馬ブームを巻き起こし、女性ファンを競馬に取り込んだ。オグリキャップの登場以前は競馬といえば男性の娯楽、ギャンブルというイメージが大きく、ハイセイコーブームに沸いた時期でさえ、女性の入場者はほとんどいなかった。しかしオグリキャップの活躍が報じられるようになると、武豊と共に若いファン、女性ファンを競馬場に引き込む原動力となった(彼女たちは俗に「オグリギャル」と呼ばれた)。今でこそ競馬グッズの定番となった「馬のぬいぐるみ」もこの競馬ブームに伴って発売されたもので、特に1989年のクリスマスには、プレゼントとしてオグリキャップのぬいぐるみが良く売れたという逸話も残されている。

オグリキャップのクラシック追加登録
オグリキャップがクラシック競走に出走できなかったことは、大きな物議を醸した。4歳時にオグリキャップはメジロラモーヌと並ぶJRA記録であった重賞6連勝(当時)を記録し、勝ち続けるたびに同世代の皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞は「敗者復活戦」などと揶揄され、クラシック登録という制度への批判が絶えなかった。その反省から後に追加登録制度(通常のクラシック登録がされていなくても、後で追加登録料を払えばクラシック競走に出走できる)が作られた。1999年にはテイエムオペラオーがこの制度を生かして皐月賞に出走、勝利している。

オグリキャップのオーナー
オグリキャップはその競走生活で2度オーナーが変更している。最初のオーナー小栗孝一が公営・笠松競馬で所有。その後、中央競馬の馬主資格を持っていなかった小栗を佐橋五十雄が説得して購入、中央競馬に転入させた。、1989年(平成元年)年初、佐橋が脱税で逮捕され馬主資格を剥奪された事の余波を受け近藤俊典が多額の費用を支払って現役時に限り3人目のオーナーとして所有した。この多額の(一説によると3億円と言われる)移籍費用を巡って、1989年のオグリキャップは故障がちであったにも関わらず、マイルチャンピオンシップから翌週のジャパンカップへの連闘を含めた厳しいローテーションが組まれた。


オグリキャップの血統表オグリキャップの血統 (ネイティヴダンサー系/Nasrullah4×5=9.34


*ダンシングキャップ
Dancing Cap 1968
芦毛 アメリカ Native Dancer 1950
芦毛 アメリカ Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Merry Madcap 1962
鹿毛 Grey Sovereign Nasrullah
Kong
Croft Lady Golden Cloud
Land of Hope


ホワイトナルビー 1974
芦毛 北海道新冠町 *シルバーシャーク
Silver Shark 1963
芦毛 アイルランド Bussion Ardent Relic
Rose o'Lynn
Palsaka Palestine
Masaka
ネヴァーナルビー 1969
黒鹿毛 *ネヴァービート Never Say Die
Bride Elect
センジュウ *ガーサント
スターナルビー F-No.7-d


オグリキャップの主な兄弟姉妹オグリローマン - 1994年桜花賞優勝馬
母ホワイトナルビーの産駒は15頭全てが勝ち上がり、2頭はGI馬になっている。また5代母のクインナルビーは1953年の天皇賞(秋)を制している。


"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%97" より作成
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安藤勝己とは


安藤勝己とは

安藤勝己(あんどう かつみ、1960年3月28日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の騎手である。栗東所属。愛知県一宮市出身。血液型A型。


安藤勝己のプロファイル

安藤勝己の笠松時代
兄・安藤光彰も騎手であった影響から、1976年、地方競馬の笠松競馬場で初騎乗。弱冠16歳でデビューすると、翌年一躍リーディング2位に躍り出る。その後、笠松のトップジョッキーとして活躍し、2003年に中央競馬に移籍するまでに通算3299勝を挙げることとなる。ファンからは「アンカツ」の愛称で親しまれていた。「カラスが鳴かない日はあっても、アンカツが勝たない日は無い」と言われるほど、常にトップに君臨していた。また、兄の光彰も同じく笠松のトップジョッキーとして活躍し、こちらは「アンミツ」の愛称で呼ばれていた。


安藤勝己の笠松時代の名馬〜オグリキャップとオグリローマン
笠松時代のお手馬の中で、中央競馬でも活躍した馬として最も有名であるのがオグリキャップである。安藤は笠松時代の12戦のうち7戦で手綱をとり、その7戦では無敗であった。その後、オグリキャップは笠松を離れ中央へ転厩するが、安藤は中央競馬の騎手免許が無いため騎乗することはできず、中央移籍後は河内洋、南井克巳、岡部幸雄、武豊、岡潤一郎、増沢末夫などが騎乗した。

それでも、笠松で行われたオグリキャップの引退式では安藤がオグリキャップに跨りスタンドを2周し、笠松のファンを喜ばせた(オグリキャップは中央・地方時代を合わせて32戦を戦ったが、安藤が跨った7戦という数字は河内、南井と並び最多である)。

その後、安藤はオグリキャップの半妹であるオグリローマンの笠松時代の主戦騎手も務めた。後にオグリローマンは1994年の桜花賞を武豊を背に制した。

現在では、地方競馬所属騎手が中央競馬で騎乗し活躍することは珍しくない(吉田稔、内田博幸など)。しかし、1994年までは地方所属騎手が騎乗できる中央競馬の競走はオールカマー、ジャパンカップといった地方競馬所属馬が出走できる競走や、地方競馬騎手招待競走のみに限られており、安藤が中央の舞台で両馬の手綱を取れなかったのはやむをえないことであった。


安藤勝己の中央競馬へ参戦1995年は「開放元年」とも呼ばれ、多くの指定交流競走が設けらたり、中央競馬のGIおよびステップレースが地方所属馬へと大きく解放された。この改正を受けて、同年ライデンリーダーと安藤は10戦10勝の成績を引っさげ、笠松競馬所属のまま中央競馬へ出走した。中央初戦の4歳牝馬特別、2番人気ながらライデンリーダーと安藤のコンビは直線強烈な末脚で他馬をまとめて差しきり、レースレコードで勝利を収める。実況した関西テレビの杉本清に「恐れ入った!」と言わしめた。

続く桜花賞では、後の優駿牝馬(オークス)優勝馬ダンスパートナー、悲願の桜花賞初制覇を目指す岡部幸雄騎乗のプライムステージのサンデーサイレンス産駒2頭を抑え、安藤とライデンリーダーは単勝1.7倍の1番人気に支持される。しかし、3、4コーナーで内外を包まれ身動きが取れず、ワンダーパヒュームの4着に敗れる。続く優駿牝馬でも1番人気に支持されるが、ハイペースの中、道中2番手を追走したライデンリーダーは直線半ばで失速、13着に大敗する。秋はローズステークスで3着に入り、当時の牝馬三冠最終戦であるエリザベス女王杯に出走するが、見せ場なく13着に敗退。

その後ライデンリーダーと安藤のコンビが中央で勝ち星を挙げることはなかったが、「交流元年」に笠松から現われたライデンリーダーと安藤の活躍は、非常に大きな衝撃だった。


安藤勝己の中央へ移籍
上記のように中央競馬でも重賞を8勝、通算100勝を達成するなど活躍していた安藤は、2001年に中央競馬への移籍を目指してJRA騎手試験を受験するが、不合格。この事態を受けて、JRAは翌年から中央競馬で一定の成績を残した地方所属騎手に対する試験要項改定(具体的には「過去5年間に中央競馬で年間20勝以上の成績を2回以上挙げた騎手」に対し、1次試験を免除するもの)を行った。

そして2002年再び受験し合格。翌2003年3月1日阪神第6競走で中央移籍後初勝利を挙げる(中央競馬競走初勝利は1980年5月11日阪神第10競走のヤマニンスキー)。その後3月30日には高松宮記念(中京競馬場)をビリーヴで優勝し、中央騎手デビューから30日という速さで、また、『お膝元』でのGI初制覇となった。また同年、菊花賞をザッツザプレンティで勝利し、クラシック競走初制覇。最終的にこの年は112勝を挙げ、リーディング3位となる。

2004年にはキングカメハメハで東京優駿(日本ダービー)を制しダービージョッキーとなるなどGI競走を7勝(中央GI4勝)。2005年にはスズカマンボで天皇賞(春)初優勝を飾り、JRAでのGI競走初の100万馬券を演出した。

2006年の桜花賞をキストゥヘヴンで制し、1995年にライデンリーダーで叶わなかった桜花賞制覇を達成した。さらには天皇賞(秋)をダイワメジャーで制し、天皇賞春、秋の両レースを制した。

2003年の中央移籍後、3年連続で年間100勝以上している。またわずか3年で旧八大競走のうち5競走を優勝し、制覇していないのは、皐月賞、優駿牝馬、有馬記念のみとなった。


安藤勝己の主なGI勝ち鞍
(斜字は統一GIを指す)

フェブラリーステークス - 2004年
高松宮記念 - 2003年
桜花賞 - 2006年
NHKマイルカップ - 2004年
天皇賞(春) - 2005年
天皇賞(秋) - 2006年
東京優駿(日本ダービー) - 2004年
安田記念 - 2004年
菊花賞 - 2003年
マイルチャンピオンシップ - 2006年
帝王賞 - 2004年
ダービーグランプリ - 2003年、2004年
マイルチャンピオンシップ南部杯 - 2003年、2005年
JBCクラシック - 2003年、2004年

タグ:安藤勝己
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エリザベス女王杯とは


エリザベス女王杯とは

エリザベス女王杯(えりざべすじょおうはい)は、牝馬限定の中央競馬の競走であり、現在は京都競馬場の芝外回り2200メートルで施行される。GIに格付けされている。

正賞はエリザベス女王杯、京都府知事賞、日本馬主協会連合会長賞。


エリザベス女王杯のプロファイル

前身の「ビクトリアカップ」は、牝馬の菊花賞に位置づけられるものとして1970年から行われていたが、1975年にエリザベス女王が来日したのを記念し、翌1976年に新たに「エリザベス女王杯」が創設されてビクトリアカップは廃止された。事実上は改称だが、形式としてはエリザベス女王杯は新設の競走とされたため、1976年のエリザベス女王杯が「第1回」となっている(競走名の改称が行われた場合は、通常、施行回数は引き継がれる)。

1995年の第20回までは、京都競馬場の芝2400メートルで施行され牝馬三冠レースの最終戦であった(但し桜花賞、優駿牝馬(オークス)とは違い、英国競馬のクラシック競走に範を取った競走ではないため、クラシック競走には位置づけられていない)。

1996年秋華賞の新設に伴い、芝2400メートルから芝2200メートルに距離が短縮されると共に古馬牝馬も出走が可能になり、これまで古馬になると牡馬と戦うしかなかった牝馬最大の目標の1つとして定着、3歳牝馬三冠路線組も合わせ、牝馬の一線級が一堂に会する競走となった。また、1995年以降JRAの方針によりGI競走が地方馬にも開放され、秋華賞・京都大賞典・府中牝馬ステークスのいずれか2着以内の地方馬には出走資格が与えられることになり、さらに1999年より外国馬も出走可能となった。

なお、2006年より春季に古馬牝馬限定のGI競走としてヴィクトリアマイルが新設されたため、春秋それぞれに古馬牝馬が出走可能な牝馬限定GI競走が存在することとなった。

2006年の同競走は、1番人気のカワカミプリンセスが1位に入線したが、他馬の進路を妨害したため12着に降着となった。日本のGIにおける1位入線馬の降着は、1991年天皇賞(秋)のメジロマックイーン以来となる。

2006年度における、当競走当日の京都競馬場の開門時刻は午前8時15分であった。


エリザベス女王杯の主なステップ
競走名 格付 団体 施行競馬場 施行距離
1 京都大賞典 GII 中央 京都競馬場 芝2400m
2 府中牝馬ステークス GIII 中央 東京競馬場 芝1800m
3 秋華賞 GI 中央 京都競馬場 芝2000m
4 天皇賞(秋) GI 中央 東京競馬場 芝2000m


エリザベス女王杯の歴史


エリザベス女王杯歴代優勝馬
回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1976年11月21日 ディアマンテ 牝3 2:28.5 松田幸春 稲葉幸夫 佐藤弘嘉
第2回 1977年11月20日 インターグロリア 牝3 2:28.7 福永洋一 柳田次男 松岡正雄
第3回 1978年11月19日 リードスワロー 牝3 2:29.1 武邦彦 服部正利 熊本芳雄
第4回 1979年11月18日 ミスカブラヤ 牝3 2:32.6 岡部幸雄 西塚十勝 (有)鏑矢
第5回 1980年11月16日 ハギノトップレディ 牝3 2:27.9 伊藤清章 伊藤修司 日隈広吉
第6回 1981年11月15日 アグネステスコ 牝3 2:28.1 西浦勝一 久保道雄 渡辺孝男
第7回 1982年11月21日 ビクトリアクラウン 牝3 2:29.2 嶋田功 稲葉幸夫 飯田正
第8回 1983年11月20日 ロンググレイス 牝3 2:30.1 河内洋 小林稔 中井長一
第9回 1984年11月4日 キョウワサンダー 牝3 2:28.4 樋口弘 吉岡八郎 浅川吉男
第10回 1985年11月3日 リワードウイング 牝3 2:26.8 内田国夫 鶴留明雄 宮崎忠比古
第11回 1986年11月2日 メジロラモーヌ 牝3 2:29.1 河内洋 奥平真治 (有)メジロ牧場
第12回 1987年11月15日 タレンティドガール 牝3 2:29.3 蛯沢誠治 栗田博憲 飯田政子
第13回 1988年11月13日 ミヤマポピー 牝3 2:27.2 松田幸春 松田由太郎 大宮良吾
第14回 1989年11月12日 サンドピアリス 牝3 2:28.8 岸滋彦 吉永忍 (株)ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン
第15回 1990年11月11日 キョウエイタップ 牝3 2:25.5 横山典弘 稗田研二 松岡正雄
第16回 1991年11月10日 リンデンリリー 牝3 2:28.1 岡潤一郎 野元昭 林田秋利
第17回 1992年11月15日 タケノベルベット 牝3 2:27.1 藤田伸二 小林稔 武岡大佶
第18回 1993年11月14日 ホクトベガ 牝3 2:24.9 加藤和宏 中野隆良 金森森商事(株)
第19回 1994年11月13日 ヒシアマゾン 牝3 2:24.3 中舘英二 中野隆良 阿部雅一郎
第20回 1995年11月12日 サクラキャンドル 牝3 2:27.2 小島太 境勝太郎 (株)さくらコマース
第21回 1996年11月10日 ダンスパートナー 牝4 2:14.3 四位洋文 白井寿昭 吉田勝己
第22回 1997年11月9日 エリモシック 牝4 2:12.5 的場均 沖芳夫 山本慎一
第23回 1998年11月15日 メジロドーベル 牝4 2:12.8 吉田豊 大久保洋吉 メジロ商事(株)
第24回 1999年11月14日 メジロドーベル 牝5 2:13.5 吉田豊 大久保洋吉 メジロ商事(株)
第25回 2000年11月12日 ファレノプシス 牝5 2:12.8 松永幹夫 浜田光正 (有)ノースヒルズマネジメント
第26回 2001年11月11日 トゥザヴィクトリー 牝5 2:11.2 武豊 池江泰郎 金子真人
第27回 2002年11月10日 ファインモーション 牝3 2:13.2 武豊 伊藤雄二 伏木田達男
第28回 2003年11月16日 アドマイヤグルーヴ 牝3 2:11.8 武豊 橋田満 近藤利一
第29回 2004年11月14日 アドマイヤグルーヴ 牝4 2:13.6 武豊 橋田満 近藤利一
第30回 2005年11月13日 スイープトウショウ 牝4 2:12.5 池添謙一 鶴留明雄 トウショウ産業(株)
第31回 2006年11月12日 フサイチパンドラ 牝3 2:11.6 福永祐一 白井壽昭 関口房朗

馬齢は国際馬齢表記による。
1995年までは3歳牝馬限定。2400mにて開催。
1996年からは古馬牝馬へ開放。2200mへ距離短縮。

エリザベス女王杯の記録レースレコード - 2:11.2(第26回優勝馬トゥザヴィクトリー)

エリザベス女王杯の関連キーワード

ビクトリアカップ - エリザベス女王杯の前身の競走
ヴィクトリアマイル - 春の古馬牝馬女王決定戦
ヨークシャーオークス - イギリスの女王決定戦
ナッソーステークス - イギリスの中距離女王決定戦
ヴェルメイユ賞 - フランスの女王決定戦
オペラ賞 - フランスの中距離女王決定戦
ブリーダーズカップ・ディスタフ - アメリカのダート女王決定戦
ブリーダーズカップ・フィリー&メアターフ - アメリカの芝女王決定戦
中央競馬のグレードワン競走
フェブラリーステークス | 高松宮記念 | 桜花賞 | 中山グランドジャンプ | 皐月賞
天皇賞(春) | NHKマイルカップ | ヴィクトリアマイル | 優駿牝馬 | 東京優駿 | 安田記念
宝塚記念 | スプリンターズステークス | 秋華賞 | 菊花賞 | 天皇賞(秋)
エリザベス女王杯 | マイルチャンピオンシップ | ジャパンカップダート | ジャパンカップ
阪神ジュベナイルフィリーズ | 朝日杯フューチュリティステークス | 中山大障害 | 有馬記念


"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E6%9D%AF" より作成
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悪徳競馬予想会社とは

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馬主とは

馬主とは

馬主(うまぬし、ばぬし)とは、競走馬を所有している人。中央競馬・地方競馬、両方に競走馬を所有している馬主も少なからず存在する。競走馬がレースで5着以内に入れば、賞金を獲得するが、その賞金の10%が調教師、騎乗した騎手と厩務員に5%ずつがそれぞれ進上金として配分され、残りの80%が馬主の収入となる。また、自ら所有することを目的として競走馬の生産を行う生産者のことを「オーナーブリーダー」という。


中央競馬における馬主

馬主の種類
個人
法人
組合(法人格なき組合・2001年秋より)

馬主の登録審査基準
中央競馬の馬主は、日本中央競馬会を通して馬主申請を行う。

登録ができない者〜禁錮以上の刑に処せられた者と成年被後見人、被保佐人、破産者で復権を得てない者 等
(詳しくは競馬法施行規程第15条及び日本中央競馬会競馬施行規程第8条に記されている。)

個人〜年間所得額が2年連続1800万円以上で資産額が9000万円以上
法人〜法人については資本金1000万円以上で代表者が50%以上出資、法人代表者については年間所得額が2年連続1800万円以上で資産額が9000万円以上
軽種馬生産個人〜年間所得額が2年連続1100万円以上、牧場規模15ha以上(自己所有7.5ha以上)、自己所有繁殖牝馬6頭以上、北海道以外の地区は牧場規模要件は半減

軽種馬生産法人〜代表者の年間所得が2年連続1100万円以上、牧場規模15ha以上(自己所有7.5ha以上)、自己所有繁殖牝馬6頭以上、法人の資本金1000万円以上で代表者が50%以上出資、過去2年黒字決算、北海道以外の地区は牧場規模要件は半減
組合〜組合員各々の年間所得額が1000万円以上(軽種馬生産者は750万円以上)、組合名義の定期預金が1000万円以上、3名以上10人以下の組合で組合員の中に個人馬主・法人馬主・他の組合員を含めない、各組合員の出資比率は10%以上50%未満、最も高い比率を持つ組合員が組合代表となる
(これらの要件はあくまで目安で、これら以外の要件もある)

※2002年度までは、年間所得額が2000万円以上(軽種馬生産者は1200万円以上)、資産額が1億4000万円以上、軽種馬生産者の自己所有繁殖牝馬頭数が7頭となっていた。

共有馬主
2人以上10人以下、個人と法人が混在してもよい。共有持分は1人5%以上で1%単位。 最も高い比率を持つ馬主が共有代表馬主となる。

組合はそれ自体が共有であるため、個人・法人・他の組合とは共有できない。


馬主の仮定名称
馬主は登録された名称とは別の名称を設定することができる。昭和初期は一般的なものであったが、近年では数えるほどしか存在しない。

かつて存在した仮定名称(カッコ内は登録名)
シャダイ(吉田善哉)、タイヘイ(大川義雄)、ホースマン(株式会社ホースマン) 等

現在でも使われている仮定名称(カッコ内は登録名)
千明牧場(株式会社丸沼)、シンボリ牧場(和田農林有限会社)、有限会社シルク(有限会社サラブレットオーナーズクラブ・シルク) 等

馬主の勝負服
勝負服は馬主毎に設定される。共有馬は共有代表馬主のものを使用する。

馬主登録の取消
馬主が死去した時(法人・組合は解散した時)
登録抹消の申請をした時
日本中央競馬会競馬施行規程第8条に該当した時
名義貸しが判明した時
共有馬を含む競走馬を1年以上所有しなかった時(いわゆる「1年抹消」で、競馬施行規程11条6項に該当) 等
(詳しくは日本中央競馬会競馬施行規程第10条及び第11条に記されている。)


馬主協会
馬主協会とは、函館・札幌・新潟・福島・中山・東京・中京・京都・阪神・九州の10か所分かれている馬主組織。各競馬場内にその事務所を置いている。馬主の親睦や寄付などの福祉活動も行っている。各馬主協会の統括組織として日本馬主協会連合会(JOA)がある。最近はJOAチャリティーオークションを競馬場にて主催し福祉関係にその売上金を寄付している。


馬主席
馬主席は全国のいずれかの馬主協会に所属していなければ席の確保が難しい。また、所属協会と競馬場は同一でなければさらに難しくなる。(例えば函館所属の馬主が阪神競馬場の馬主席を利用すること等)また、共有馬のみの馬主に対しても馬主協会によっては難しい場合がある。

馬主以外の人(いわゆる一口馬主の出資者を含む)が馬主席に入るには、馬主の紹介以外に方法は無い。


馬主の口取り所有馬がレースに優勝した時には、ウイナーズサークルにて行われる表彰式で口取りができる。G1競走の際には芝コース上で行われる。

馬主以外にもその家族や知人、生産牧場関係者も多数参加する。一口馬主の出資者については各クラブによって異なるが、出資人数が多数であるため、参加人数を制限している。


馬主登録数
2005年末の時点で2381(個人2018、法人329、組合34)。

1991年には3000を超える登録数があったがその後の景気の低迷とともに減少傾向にある。


地方競馬における馬主
地方競馬の馬主は、預託予定の地方競馬調教師を通して馬主申請を行う。

地方競馬組織のいづれかで登録されれば、日本全国どこの地方競馬でも馬を持つことができる。 


馬主の種類
個人
法人
組合(法人格なき組合・2002年より)

馬主の登録審査基準
登録ができない者〜禁錮以上の刑に処せられた者と成年被後見人、被保佐人、破産者で復権を得てない者 等
(詳しくは競馬法施行規程第15条に記されている。)

個人〜年間所得が500万円以上
法人〜法人代表者については年間所得が500万円以上、法人への出資金額が300万円以上
組合〜組合員各々の年間所得が300万円以上、組合名義の定期預金が300万円以上
(これらの要件はあくまで目安で、これら以外の要件もある)


馬主の共有2人以上20人以下、個人と法人が混在してもよい。共有持分は1人5%以上で1%単位。 最も高い比率を持つ馬主が共有代表馬主となる。

組合はそれ自体が共有であるため、個人・法人・他の組合とは共有できない。


馬主の勝負服
勝負服は騎手毎に設定されるため、馬主の勝負服は存在しない。共有馬は共有代表馬主のものを使用する。

(統一グレード競走やホッカイドウ競馬の一部競走を除く)


馬主登録数
2005年末の時点で6578(個人6175、法人392、組合11)。


馬主の関連キーワード
一口馬主
オーナーブリーダー
冠名
勝負服
タグ:馬主
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岡部 幸雄とは

岡部 幸雄(1948年10月31日-)とは

日本中央競馬会の元騎手。美浦所属のフリー騎手(どこの厩舎にも所属しない騎手)であった。群馬県太田市出身、血液型はA型。幾多の記録を塗り替え、クラシック三冠馬シンボリルドルフをはじめ数々の名馬の手綱を取った事で知られる。ファンの間で名手と称された。また、トレセンでの通り名は「ジョッキー」。タレントの岡部玲子とは親戚関係にある。

岡部幸雄のプロフィール
岡部は1967年に騎手免許を取得。同期に柴田政人(現調教師)、福永洋一(引退)、伊藤正徳(現調教師)などがおり「花の15期生」と呼ばれる。当初は鈴木清厩舎所属であったが、袂を別ってフリーになる。(以後、鈴木清厩舎の馬には騎乗していない。)若い頃から海外競馬に興味を持ち単身アメリカなどに出向き武者修行、そこで触れた欧米の競馬文化に多大な影響を受ける。米国・デルマー競馬場において、日本人騎手初勝利という歴史的快挙を達成、さらには海外のダービー(マカオダービー)を勝っている唯一の騎手でもある。1998年にタイキシャトルに騎乗しフランスのジャック・ル・マロワ賞を勝ったときには、悲願であった国際GI制覇を成し遂げた喜びから感極まる場面も。

馬の事を第一に考えた「馬優先主義」をポリシーに掲げ、早くからこれを実践していたが、当時の日本では岡部の主張は受け入れられる事はほとんどなかった。非常識とされていたことを数々覆し今日の競馬社会に多大な影響を与えた。日本における現代競馬の父とも呼ぶべきオピニオンリーダーであった。

また、騎乗技術の高さには定評があり、特に距離を変えてしまう(ような)騎乗が有名である。レオダーバンの菊花賞では距離を持たせるために3000mのレースで2000mの騎乗、シンボリルドルフの新馬戦ではレースを覚えさせるために1000mのレースを1600mの騎乗でレースに勝ったことは伝説となっている。

一見紳士ではあるが、怒らせると怖いタイプで、若い頃には危険な騎乗をした騎手を、レース後に騎乗したまま殴るなど今では信じられない伝説も持っている。例として、1984年2月18日の東京競馬第8競走で、岡部はクインテシオに騎乗していたが、向こう正面で杉浦宏昭(現・調教師)騎乗のスイートボルドーが斜行し、その行為に激高して岡部はとっさに杉浦を殴りつけてしまった。それによって実効2日間の騎乗停止をくらい、反省のため頭を丸めたという。

2002年12月の有馬記念での騎乗を最後に、オーバーホールのため休養に入る。膝の状態がかなり深刻であったため翌年4月には膝を手術。長いリハビリを終え2004年1月25日に復帰。同日中山競馬第9競走の若竹賞で、後に桜花賞を勝つダンスインザムードに騎乗し1着となった。生涯現役を目指し、夢の通算3000勝も見えてきた矢先ではあったが、体が思うように動かないことを理由に2005年2月20日以降騎乗を自粛。そして3月10日に38年間におよぶ騎手生活からの引退を明らかにした。これに伴って、2005年3月20日に当初予定されていた「東風ステークス」は「岡部幸雄騎手引退記念競走」(岡部本人は騎乗せず、優勝馬の関係者らに対する賞品のプレゼンターとして表彰式に出席)に変更され、引退式が中山競馬場で開かれた(この時、後輩騎手である横山典弘らの提案で、岡部を神輿に乗せ、騎手一同で担いでパドックを周回した)。特定騎手の業績を称えた競走の開催は地方競馬(佐々木竹見)での例があるが、中央競馬では稀。

引退後は、調教師や競馬学校教官等のJRA関係職には就かず、フリーの評論家的活動を行っている。なお、2006年10月からはJRAと「アドバイザリー契約」を締結し、審判業務に対する意見や助言、若手騎手に対する技術指導をすることとなった。また、トークショー等にも積極的に参加している。現役時代の印象とは裏腹に陽気なオジサンぶりを発揮している。2006年10月からはアサヒ飲料のコーヒー「WONDA」の「Gワンダレースキャンペーン」のCMに出演。

ディープインパクトとシンボリルドルフの比較を聞かれ、「ルドルフのほうが強い」と即答している。しかし、自ら「ディープのオッカケ」と言うほどディープインパクトのファンでもある。2006年10月1日には、ディープインパクトの出走する凱旋門賞の解説者としてNHKに出演。最後の直線では実況に混ざり「まだまだっ(まだ仕掛けるな、という意)」「大丈夫」「頑張れ!」などと発言した。これら、プロフェッショナルの視点からの感情のこもった発言は、多くの競馬ファンの間で好評を博した。

中央競馬の通算成績は18646戦2943勝(2006年現在史上最多)。

岡部幸雄の成績(JRA)
通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 2928 2437 2192 11027 18584 .158 .289
障害 15 9 5 33 62 .242 .387
計 2943 2446 2197 11060 18646 .158 .289

岡部幸雄通算GI(級)39勝
通算重賞165勝
天皇賞を4つの競馬場で制したという珍記録を持っている(1978年春(京都競馬場で開催)にグリーングラスで制したのを皮切りに、1990年秋(東京競馬場で開催)にヤエノムテキで、1994年春(阪神競馬場で開催)にビワハヤヒデで、2002年秋(中山競馬場で開催)にシンボリクリスエスで制している)。
シンボリクリスエスの天皇賞は54歳2ヶ月での勝利で最高年齢GI勝利となっている。
長距離戦に強く、ダイヤモンドステークス(岡部勝利時、3200m)、ステイヤーズステークス(3600m)をともに7勝。GIにおいても菊花賞(3000m)を3勝、天皇賞(春)(3200m)を4勝しており、「長距離の岡部」と称されていた(長距離戦は騎手の技量の要素が短距離戦に比べて大きいとされるのが一般的である)。
桜花賞を勝てば八大競走完全制覇であったが、勝利する事はできなかった。
一流騎手でも体力面から40代半ばには引退する例が多いが、岡部は40歳以降にGIレースを23勝している。40代、50代になっても最前線で活躍した姿から、現役晩年は「鉄人」「生涯現役騎手」等の肩書きが多く見られた。

海外・地方成績
海外通算133戦13勝。1972年にアメリカ・デルマー競馬場で海外初騎乗。
主な勝ち鞍:ジャック・ル・マロワ賞(タイキシャトル)、マカオダービー(メディパル)など。
地方通算136戦25勝。
主な勝ち鞍:ブリーダーズゴールドカップ(ウイングアロー)、ダイオライト記念(デュークグランプリ)など。

受賞
騎手大賞(1987年、1991年)
優秀騎手賞(1969年、1970年 - 1972年、1975年〜1981年、1983年、1985年〜2002年)
フェアプレー賞(1985年、1986年、1990年、1994年、1996年、1998年、2000年、2002年、2004年)
東京競馬記者クラブ賞(1987年)
日本プロスポーツ大賞
功労賞(1988年、1996年)
特別賞(1993年)
スポーツ功労者 文部科学大臣顕彰(2006年)

代表騎乗馬
グリーングラス:TTGの1頭で、天皇賞(春)は岡部騎乗で勝利
ダイナカール:エアグルーヴの母で5頭並びの優駿牝馬(オークス)を勝利
シンボリルドルフ:史上初の無敗によるクラシック三冠馬。東京優駿(日本ダービー)では「競馬を教えられた」と言わしめる
レオダーバン:菊花賞を2000mのレースに持ち込むという美技で勝利
トウカイテイオー:4歳時の主戦騎手でジャパンカップを親子制覇
シンコウラブリイ:藤沢和雄厩舎初のGI馬でマイルチャンピオンシップを制覇
ビワハヤヒデ:岡部に乗り替わってからGI3勝
ジェニュイン:GI勝ちはすべて岡部騎乗時
バブルガムフェロー:2歳時と古馬時に主戦(天皇賞は蛯名正義が騎乗して勝った)
タイキシャトル:仏GI勝利でマイラーとしては初の年度代表馬
シンボリクリスエス:岡部にとって最後のGI勝利となった天皇賞(秋)のパートナー

著書
「馬・優先主義」:現役時代よりサンケイスポーツ紙・週刊Gallopに、現役を引退した現在も連載しているエッセイ。現在まで5巻出ている。主に競馬に関する評論。
「ルドルフの背」(池田書店)
「勝つための条件」(ブックマン社)
「チャンピオンのステッキ」(コミュニケーションハウス社)
「チャンピオンの密かなる愉しみ」(コミュニケーションハウス社)
「僕の競馬 僕の勝負」(大陸書房)
「勝つ為の条件−名手岡部 飛翔の蹄跡−」(日本文芸社)

その他
岡部の故郷である群馬県太田市には「岡部幸雄 群馬県太田市後援会」が結成されていた。


岡部幸雄関連キーワード
騎手一覧
柴田政人:騎手学校時代からの友人で最大のライバル。現調教師
福永洋一:柴田と同じく友人でライバル、初代『天才』。息子・祐一は現役騎手
野平祐二:岡部の目標でもあった当時の関東のエースでシンボリルドルフの調教師。故人
増沢末夫:岡部以前のJRA最年長記録保持者。現調教師
佐々木竹見:日本競馬における最多騎乗・最多勝利記録保持者。現地方競馬全国協会参与兼評論家
武豊:現在の『天才』。岡部は最大の目標であり、かつライバルでもあった。
よしだみほ:漫画家。シンボリルドルフの頃よりの岡部ファンとして知られる。

タグ:岡部 幸雄
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大崎 昭一とは

大崎 昭一(1945年1月15日 - )とは

日本中央競馬会(JRA)の元騎手で、現在は競馬評論家。宮崎県出身。

記者の質問には弱気のコメントをすることが多く、「泣きの昭ちゃん」といわれたが、レースでは厳しく大胆な騎乗ぶりで東京優駿(日本ダービー)、有馬記念をそれぞれ2勝するなど名手として活躍したが、たび重なる落馬事故により満身創痍であった。そのため競馬ファンの間では「怪我さえなければ1000勝は確実にできていた」といわれている。1999年引退。中央競馬通算970勝。

来歴
1963年 柴田寛厩舎所属騎手としてデビュー。同期に安田伊佐夫など。障害では、この年1度目の中山大障害を制していたフジノオーに騎乗し2勝を挙げている。
1964年 36勝をマーク。
1965年 目黒記念(春)をブルタカチホで制し重賞初勝利。「稀代のクセ馬」カブトシローでカブトヤマ記念を勝ち重賞2勝目。
1966年 調教中の落馬で馬の下敷きとなり、骨盤を7ヶ所骨折。
1967年 カブトシローで有馬記念を制し、GI級レース初勝利。
1968年 中央競馬(以下同様)通算100勝達成。
1969年 ダイシンボルガードで東京優駿(日本ダービー)を制覇、レース後ファンに胴上げされる。24歳での勝利は戦後の最年少ダービージョッキー記録であった(当時)。
1973年 福島競馬で外ラチに激突し落馬、胸部挫創および腰椎第一第二右横突起を骨折。
1975年 フジノパーシアで天皇賞(秋)制覇。
1976年 フジノパーシアで宝塚記念に勝利し、同馬でローレルパーク競馬場のワシントンD.C.インターナショナルへ遠征(6着)。通算300勝。
1977年 府中競馬で落馬し、左第七〜十一肋骨骨折、右下腿筋挫創の大怪我。1年2ヶ月休養。
1978年 中山競馬で落馬、右大腿骨を骨折。治療ミスで骨が割れ1年近く休養。
1979年 グリーングラスの引退レースに騎乗し、2度目の有馬記念制覇。
1980年 福島競馬で落馬、再度の右大腿骨骨折。
1981年 16番人気のカツトップエースで皐月賞を逃げ切り勝ち。東京優駿(日本ダービー)も同馬でサンエイソロンの猛追をハナ差しのぎ、ダービー2勝目を挙げる。フリーとなる。
1982年 通算500勝。
1985年 新潟競馬の本馬場入場で柵ごしにファンと言葉を交わした行為が公正競馬を害するされ、4ヵ月間の騎乗停止処分を受ける(新潟事件)。
1987年 通算700勝。
1991年 布施正調教師の誘いを受け小倉に遠征、以後関西での騎乗が中心となる。
1992年 管理する橋口弘次郎調教師に出走を強く薦め、11番人気のレッツゴーターキンで天皇賞(秋)を制覇。
1994年 通算900勝。
1998年 中京競馬での落馬事故による後遺症から慢性硬膜下血腫を発症、頭部手術を受ける。
1999年 復帰に向けリハビリを続けていたが、網膜色素変成症を発症し現役続行を断念。

騎手通算成績(中央競馬)
通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 962 898 901 6086 8847 .109 .210
障害 8 4 7 18 37 .216 .324
計 970 902 908 6104 8884 .109 .211

重賞通算36勝
タグ:大崎 昭一
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大川 慶次郎とは

大川 慶次郎(1929年2月6日 - 1999年12月21日)とは

競馬評論家。東京都東京市北豊嶋郡王子村15番地出身。1952年慶應義塾大学文学部心理学科卒業。予想家としては通算4度パーフェクト予想(1日の全レースの連複を当てること)を達成し、「競馬の神様」と呼ばれファンに親しまれた。競馬評論家の大川智絵は長女。

経歴
幼少期・戦前
青森県八戸市の太平牧場で競走馬を生産するオーナーブリーダーであった大川義雄(通称「タイヘイ氏」)の二男として誕生。渋沢栄一の曽孫にあたる(父・義雄の母が渋沢の庶子)。

幼少の頃より太平牧場や東京都内の外厩で競走馬を間近に見て育った。また、義雄に連れられて競馬場にも足繁く通い、1937年の東京優駿を実際に観戦した最も古いレースとして晩年まで記憶していた。

終戦・大学時代
大川は父の跡を継いでオーナーブリーダーとなることを志したが、太平洋戦争終結後に行われた農地改革の影響で太平牧場は人手に渡ることとなり、一競馬ファンとして生きることを余儀なくされる(のちに太平牧場は「タイヘイ牧場」と名称が変更された)。

1948年に慶應義塾大学に入学。翌1949年、競馬サークル「いななき会」を設立。同会のメンバーであった学生の父親が河野一郎の支援者であった縁から同氏を顧問に迎える。これを期に公職追放中であった同氏はしばしば大川とともに競馬場に通うようになり、政界復帰後に馬主・競走馬生産者として活発に活動するきっかけとなった。

サラリーマンを経て新田新作の競馬秘書に
1952年に慶應義塾大学を卒業し、父親のコネで高千穂製紙に就職。しかし会社員生活は性に合わず、考えるのは競馬のことばかり。毎週土曜日になると営業に出るふりをして会社の裏にある場外馬券売り場に馬券を買いに行ったという。結局入社から3年たった1955年に同社を退社し、新田新作(明治座社長で日本の黒幕)の競馬担当秘書となる。主な仕事は新田が競走馬を預託する藤本冨良調教師 との連絡役であった(藤本の厩舎にはかつて父親の義雄も競走馬を預託していたため、大川は幼少の頃から藤本と交流があった)。

秘書となった年、新田所有の4歳馬メイヂヒカリはクラシックの有力候補であった。しかし皐月賞を目前に控えた時期になってメイヂヒカリの飛節に肉腫ができていることが判明。無理をせずに休養をとらせたい藤本の意を受けた大川は無理にでも皐月賞に出走させようとする新田の説得にあたり、「未来がある馬だから出走させないでくれ。それに大金を投じて馬券を買うファンに迷惑がかかる」と土下座までしてみせた(大川にしても新田が「義理人情に生きる」のが表看板の博徒上がりの点は折込済み)。新田は大川の説得に渋々応じたが、結果メイヂヒカリは見事立ち直り、後に顕彰馬に選ばれるほどの活躍を見せた。

日本短波放送の競馬解説者に
1956年に新田新作が死去し、また同時期に別の馬主の依頼で務めていた生産牧場(東北牧場)の牧場長を辞したため無職となる。

東北から上京した大川ははじめ白井新平に請われて『競週』の予想家となったがまもなく同紙から離れ、手刷りの予想紙(『レーシング・ヒント』)を売る生活を送る。やがて河野一郎の助力を得て日本短波放送の解説者となる。このときの恩から大川は河野一郎を「心の師匠」と慕い続けた。

パーフェクト予想達成、「競馬の神様」に
ラジオ出演で知名度が上がったのをきっかけに『ホースニュース・馬』社と予想家契約を結ぶ。1961年9月3日、同紙上で予想家としては初となるパーフェクト予想を達成。たまたま同席していた『週刊読売』の記者がこのことを『競馬の神様のご請託』と題うって記事にし、それに『週刊文春』など他の雑誌が追従、予想家としての知名度は飛躍的に向上した。

しかしながらパーフェクト予想達成後に予想をはずすことを恐れるあまり無難な予想しかできなくなり、極度のスランプに陥ってしまう。本人の述懐によると、このスランプから完全に脱したのは「勝馬」「ダービーニュース」を経て「ケイシュウニュース」の予想家となった1969年以降のことであったという。

1994年に「ケイシュウニュース」を去った後はもっぱらフジテレビ「スーパー競馬」の解説者・日刊スポーツ専属評論家として活躍した。また1981年に自ら設立した競馬予想会社・ホースメン会議の総監督も亡くなるまで務めた。

21世紀の競馬を見ることなく死去、最後の予想は的中
晩年は「21世紀初めての競馬を見ることが目標」と度々口にしていた。しかし1999年12月15日、美浦トレセンでの調教取材を終え、ゴルフを楽しんだ後寿司屋で会食中に倒れ入院。12月21日、高血圧性脳出血で永眠。倒れてから意識を取り戻すことはなかったが、家族が競馬中継やGIのファンファーレを聞かせると脳波が強く反応したという。なお、入院後の検査でかつて癌を患った肺の状態も悪化していたことが判明。診察した医者は「よくこの状態で普通に呼吸ができていたものだ」と言ったという。

死の5日後に行われた有馬記念は倒れる直前に本命として挙げたグラスワンダーがスペシャルウィークを際どいハナ差で退け、「生前最後の予想」が見事的中した。翌2000年2月6日に東京競馬場で「大川慶次郎さんの思い出を語る会」が、井崎脩五郎・鈴木淑子・長岡一也・原良馬らが参加して行なわれた。同年10月11日には、大川所縁のタイヘイ牧場に記念碑が建立された。

なお、横浜松坂屋の7階には彼の遺品のノートを「ご神体」とした勝馬神社が設けられている。また、タイヘイ牧場は高松宮記念優勝馬サニングデールや名ジャンパー・ゴーカイなどの生産牧場である。

予想家・解説者としての大川慶次郎
予想と言えば馬そのものだけがその対象であった時代に、レースの「展開」をファクターとして取り入れたのは画期的とされる。
調教代わりにレースを使う陣営への反発もあって五冠馬シンザンに一度も本命印を打たなかった。ミスターシービーに対しては三冠最後の菊花賞では本命印をうった。

自分の打った印をもとに馬券を買うファンに対する作法として、自らも予想の通り馬券を買うのを常とした。パドックを見て予想が誤りであったと直感した際にも作法を曲げることはなかった(「僕は競馬で三億勝っています。でも四億負けています」と「いつみても波瀾万丈」出演時に語った)。
1983年ジャパンカップ(スタネーラ優勝)の時の「(キョウエイ)プロミス!プロミス!」、1984年菊花賞(シンボリルドルフ優勝)の時の「(ゴールド)ウェイ!!」や1990年有馬記念(オグリキャップ優勝)の「(メジロ)ライアン! ライアン!」と、実況中に叫んでしまうこともあった(メジロライアンについては特に思い入れが深かったので思わず叫んでしまったのである。後に本人は実況の大川和彦アナウンサーが先頭のオグリに集中したため、2番手にライアンが上がってきたことを伝えるためだったとコメントしている。なお、この実況を取り上げて競馬界以外の世間に大川の名を知らしめたのは明石家さんまで、これ以降大川は競馬以外のバラエティ番組にも出演するようになった)。

晩年はエアグルーヴが好きでエアグルーヴの引退レースとなった有馬記念ではオグリキャップの時のような後悔はしないと、ピークの過ぎたエアグルーヴを絶賛し、敗北後も後悔はしていなかった。
「(ギャンブルとしての)競馬」ではなく「(動物の)馬」が好きでこの業界に入ったこともあってか、馬の体型を一目見ただけで他の予想家や競馬記者が気づかなかった体調や故障、先天的障害を言い当てることもあった。ちなみに「馬」を知らないで予想をたてる予想家や競馬記者には不快感を持っていたらしく、「動物学を修めろとは言わないが、馬がどういう動物かくらい勉強すべきだ」とコメントしたこともある。

かつては予想が外れると脅迫電話が自宅にかかるなどファンとの間には殺伐とした関係があった。そのため電車に乗る時には決してホームの一番前に並ばないなど、身辺に注意を払う必要があっという。しかし晩年は若いファンからマスコット的な人気を博すようになり、大川は時代の変化を痛感したという。

競馬評論家としての大川慶次郎
競馬マスコミにおいて競馬関係者を批判することをタブー視する風潮がある中で、関係者を公然と批判することがしばしばあった。とくに大久保正陽については、体調が万全でないナリタタイシンを菊花賞に出走させたことに始まり、同じく体調が万全ではないナリタブライアンを大レースに出走させて惨敗させ続けたこと、距離的な適性があるとは思えない高松宮杯へ出走させたこと、その際に南井克巳から武豊への騎手交代を行ったことを挙げ、「間違いは、大久保調教師自身の見識にあった」と切って捨てた。また、サクラローレルが海外遠征中に故障を発症したことについても、「ローレルのことをよく知る境勝太郎元調教師と装蹄師を同行させなかったことによる人災である」と調教師の小島太を批判した(ちなみに境勝太郎自身も「故障の原因の一つは日本から装蹄師を同行させなかったことにある」旨のコメントをしている)。小島については、サクラローレルの引退式に境を管理調教師として参加させなかったことについても「小島太という人間に疑いを持った」と批判している。

JRAに対しても、「馬に食べさせてもらっているのに馬に対する感謝の念が見られない」と批判したことがある。中央競馬のレース名のほとんどが地名や植物名からつけられ、馬名からつけられることが皆無(ちなみに地方競馬は馬名を冠したレース名をつけることが多い)ということに対しても不快感を持っており、著書で批判している。

天皇賞(秋)の距離が3200mから2000mに短縮された際には、最後まで反対していた。その理由の1つは(当時の)東京競馬場の2000mは枠の内外による有利不利の差が大きすぎるというものであった。大レースは枠順による有利不利が起こらない条件で行うべきであるという大川の考えは一貫しており、天皇賞(秋)以外にも桜花賞、菊花賞の施行条件を改めるべきであると提言していた。

但し、上記の発言からもわかるように天皇賞の距離短縮反対に関してはコース形態を理由としており、距離短縮に対して反対していたわけではないことも伺える。以前サクラバクシンオーについてのコメントを求められた時、「競馬はスピードを競うもの。(サクラバクシンオーのように)短距離馬にも価値が出てこないといけない」と述べている。最もこれと対比して「だらだらと長い距離を走って最後の一周だけで勝負が決まってしまうようなレース(=東京大賞典)を踏襲している地方競馬は、中央競馬の姿勢を学ばない限り足元にも及ばない」と批判している。

「競走馬は馬主のものであるが、レースに登録した時は馬券を買うファンのものとなる」という持論を持っていた。
盛岡のあるレースで井崎脩五郎と予想について話をしたところ激論となってしまい、テレビ局側が放送を打ち切ると言う事態にまで発展した。このことについては「テレビ局側にも怠慢がある」と非難していた。ちなみにこの年の暮れに大川は亡くなっている。

出演していた番組
スーパー競馬(フジテレビ)
中央競馬実況中継(ラジオNIKKEI)
うまなりクン(フジテレビ) - なお同番組では「犬川慶次郎(いぬかわ- )」を名乗る。

著書
大川慶次郎回想録 まっすぐ競馬道 -杉綾の人生-(日本短波放送(現・日経ラジオ社))
絶筆・大川慶次郎(角川書店・ザテレビジョン文庫)
サラブレッド101頭の死に方(アスペクト・徳間書店 共著)
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石川 喬司とは

石川 喬司( 1930年9月17日 - )とは

愛媛県出身の作家、評論家。

愛媛県四国中央市出身。1953年、東京大学文学部仏文学科卒業。同年、毎日新聞社に入社。新聞記者生活の傍ら文筆生活に入る。1963年3月5日、星新一や小松左京たち10人と共に日本SF作家クラブを設立。

出版局編集次長を経て、1971年に毎日新聞社を退社。1978年、『SFの時代』により日本推理作家協会賞受賞。SF作家としての代表作に、自らの悲惨な戦争体験に基づく『魔法つかいの夏』がある。1979年には東京大学にて「文学と時間」と題する講義をおこない、日本の大学における最初のSF講座として話題を呼んだ。

競馬にも造詣が深く、競馬評論家としても知られる。当人は馬家(ばか)を自称。

日本推理作家協会常任理事。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、日本SF作家クラブ、アジア・アフリカ作家会議の各会員。競馬国際交流協会評議員。日本SF大賞、江戸川乱歩賞、横溝正史賞などの選考委員。日本SF評論賞選考委員長。

タグ:石川 喬司
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井崎 脩五郎とは

井崎 脩五郎(1947年7月23日生(本名:布目健二))とは

ホースニュース・馬に所属している競馬評論家兼会社員(株式会社ホースニュース広報部部長)。長野県伊那市出身。 明治大学商学部除籍後、株式会社ホースニュースに入り、競馬専門紙記者となる。父は浪曲奇術師の布目貫一。

フジテレビのスーパー競馬に出演しており独特のデータ予想を駆使して、また持ち前の明るくユニークな性格で人気を博している。また、本業の競馬予想・評論にとどまらず、TBSテレビ「噂の!東京マガジン」の中吊り評論家など複数の評論家の肩書きで豊富な知識で幅広い分野で活躍している。大学の教養課程時代は北野武と同窓であった。かつてはタキシード姿で出演するのがトレードマークであったが現在はスーツが多い。そのキャラクターから普通とは逆に予想が的中すると苦情が来るとか。

ちなみに、世界の競馬珍話集(但し自身の創作も多い)や競馬をテーマにした小説も何冊か出版している。

名前の読み方は「いさき」が正しいが、一般的には「いざき」と呼ばれ、本人も時々「いざき」と言ってしまうことがある。

出演番組
スーパー競馬(フジテレビ)
噂の!東京マガジン(TBSテレビ)
おしゃべりクイズ疑問の館(NHKラジオ第1・不定期ゲスト)
酔いどれない競馬(フジテレビ739)

かつて出演していた番組
チャレンジ・ザ・競馬(フジテレビ・番組終了)
うまなりクン(フジテレビ・番組終了)※丼崎脩五郎(どんぶりざきしゅうごろう)として予想を担当
あしたのG(フジテレビ・番組終了)
梶原しげるの本気でDONDON(文化放送・番組終了)
井崎脩五郎の一番人気(JFN・番組終了)
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アンドリュー・ベイヤーとは

アンドリュー・ベイヤーとは

アメリカ合衆国の競馬評論家。ハーバード大学卒業。スピード指数の一種であるベイヤー指数(Beyer Speed Figure)を考案したことで知られている。

1960年代後半から競馬記者としての活動を開始。1970年代に競走馬の走破タイムなどを元にしたベイヤー指数を考案。1992年からはアメリカで最大のシェアを占める競馬新聞のデイリー・レーシング・フォームにその指数が掲載されている。スピード指数を用いる予想方法は日本にも多大な影響を与えており独自の指数も多数発表されている。また競馬に関するコラムニストとしての一面も持ち合わせておりワシントン・ポストでコラムを執筆しているほか、著書は日本でも訳されて出版されている。

主な著書
勝ち馬を探せ!! (1990年・ISBN 4-89595-011-5)山本尊 訳
ウイニング・ホースプレイヤー (1992年・ISBN 4-426-54710-5)山本尊 訳
勝ち馬を探せ! 改訂保存版 (1994年・ISBN 4-89595-083-2)山本尊 訳
競馬探究の先端モード (1995年・ISBN 4-426-55003-3)山本尊 訳
マイオールドケンタッキーホーム (2000年・ISBN 4-426-76006-2)山本尊 訳
アメリカ競馬戦略9つの頂点 (2005年・ISBN 4-426-76302-9)複数名との共著、平尾圭吾 訳
※題名・出版年・ISBNは日本版のもの

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阿部 幸太郎とは

阿部 幸太郎とは

競馬評論家。2005年現在は夕刊フジに在籍。通称アベコー。

2002年以前はホースニュース・馬の記者として、井崎脩五郎と並ぶ同紙の看板予想家として活躍。また中央競馬ワイド中継(独立UHF放送局)の日曜日に出演し、中でも「アベコーの穴等専科」が大人気だった。

夕刊フジに移籍してからはBSフジの競馬大王にも出演し、「アベコーの万券予報」も人気を博した。

中央競馬の全レースを完全中継している、CS放送「グリーンチャンネル」2006年1月のリニューアルから、G1レースの行われる日曜日に、『中央競馬中継EAST』(後半)のゲストコメンテーターとして出演している。

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東 信二とは

東 信二(1951年11月24日 - )とは
日本中央競馬会(JRA)に所属していた元騎手で、現在は競馬評論家である。

中央競馬での通算成績: 5293戦512勝 中央重賞勝利は21勝
主な勝鞍
1973年 スプリンターズステークス(キョウエイグリーン)
1974年 安田記念(キョウエイグリーン)
1981年 有馬記念(アンバーシャダイ)
1987年 皐月賞、菊花賞(サクラスターオー)など
現在は、フジテレビのスーパー競馬の解説者(GI開催時出演の準レギュラー)
アンバーシャダイで有馬記念を制した時は、それまで騎乗していた加藤和宏がホウヨウボーイに騎乗するため、サクラスターオーも本来なら小島太が騎乗する筈だったが、小島と全オーナーとの対立で一時期「サクラ」が付く馬は東が騎乗していた。
タグ:東 信二
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赤見 千尋とは

赤見 千尋(1978年2月2日 - )とは、日本の元騎手。

現役当時は高崎競馬場所属。アイドルジョッキーとして人気を集めたが、2004年の高崎競馬廃止に伴い引退、現在は競馬評論家(スポーツ文化人)として活動している。群馬県出身。

経歴
1996年 高崎市立高崎経済大学附属高等学校卒業
地方競馬教養センターを1998年に修了
1998年10月10日に初騎乗
1998年11月22日に初勝利
2003年 WONDERPLANET杯・牡丹特別でハナノリボンに騎乗し2着
2004年12月31日 高崎競馬場開催最終日第8競走でファーストルーチェに騎乗し勝利。これが高崎競馬最後の競走となる。  
2005年 引退

生涯成績
出走2033回で1着91回・2着104回・3着125回・4着165回・5着178回・着外1370回
タグ:赤見 千尋
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赤木駿介とは

赤木駿介(1929年 - )とは
日本の競馬評論家、作家。明治学院大学中退、東京経済大学中退。主婦の友社、平凡出版、日本リサーチセンター勤務を経て1967年、フジテレビ「競馬中継」の解説者となる。同番組には1975年まで出演した。ハイセイコーを熱心に取材し、1975年に『実録ハイセイコー物語-愛されつづけた郷愁の馬』を出版した。

タグ:赤木駿介
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1番人気の単勝が3倍以上だと荒れる

「1番人気の単勝が3倍以上だと荒れる」とは

これは、データ的にも立証されています。

本命党の方はこういうレースにてを出してはいけません。
穴党の方は、狙うべきレースとなります。
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あしいろ(脚色)


あしいろ(脚色)とは


馬の走りっぷりのこと。

能力を一杯出し切ってこれ以上はスピードが鈍って来るようなとき

「脚色が悪くなった」「脚色一杯」といいます。

まだ余力を十分残しての攻馬やレースぶりの時は脚色が良いというように使

われます。
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あがりうま(上・昇り馬)


あがりうま(上・昇り馬)とは


 それまで下級条件に低迷していた馬が、急激に調子を上げたり、実力を身

につけて、短期間のうちに数段上の条件に勝ちあがってきた馬のことをいい

ます。

上昇線をたどってる馬は意外に強く、多少の増量や不利な条件などに苦にせず

勝つことががあります。上昇馬ともいいます。
posted by 競馬の錬金術師 at 02:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

あがりたいむ(上がりタイム)


あがりたいむ(上がりタイム)とは

4ハロン、3ハロンの所要タイムのことです。

ここのタイムはレースの決めどころなので、能力判断に非常に重要なポイン

トです。

調教でも同じですが、調教では距離をどの程度追ったか、上りのみを追えば

速いのは当然です。

合計タイムで判断した方が良いでしょう。
posted by 競馬の錬金術師 at 19:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

あがり(上がり)


あがり(上がり)とは


レースや調教で、最初を「テン」、中盤を「なか」、終盤を「しまい」また

は「上がり」といいます。


「上がり3ハロン」といえばゴールから逆算した3ハロン(600メート

ル)のことです。

また4ハロン(800メートル)を合わせてもいいます。

「50−38」といえば4F(ハロン)50秒、3F38秒ということです。


 上がりタイムは、勝馬予想の重要なポイントとなります。
posted by 競馬の錬金術師 at 19:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

あかはた(赤旗)


あかはた(赤旗)とは


発走時刻の約30秒前に、発走委員が発走準備開始をしめすために振る旗の

ことです。
posted by 競馬の錬金術師 at 19:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

あおる


あおるとは

スタート時に、騎手と馬のタイミングが合わず出遅れることをさします。


発走ゲート内で立ち上がった時、もしくは開いた瞬間に前肢走することです。

スタートで後手を踏んでしまい大きな不利となります。
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posted by 競馬の錬金術師 at 19:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

あおげ(青毛)


あおげ(青毛)とは

被毛、長毛とともに完全に黒色の馬のことです。

アラブやサラブレッドには少ない毛色です。

重量馬のペルシュロンには比較的多いといえます。
posted by 競馬の錬金術師 at 19:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

あおかげ(青鹿毛)


あおかげ(青鹿毛)とは

全身殆んど黒色で、眼や鼻の周囲、口辺、腋、ひばらなどがかすかに褐色を

している馬のことです。
posted by 競馬の錬金術師 at 19:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

アウトブリード


アウトブリードとは

サラブレッドは近親交配をもとに作られてきた動物ですが、

血統の5代前までに同一の祖先を持たないような配合をさせていることをい

います。

血が濃くなり過ぎるのを避け、別の系統の血を入れて活性化させることを目

的としています。異系交配ともいいます。

⇔インブリード
posted by 競馬の錬金術師 at 19:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 あ

アーニング・インデックス


アーニング・インデックスとは

種牡馬の優劣を判定するための目安です。

出走馬1頭当たりの収得賞金の平均値を1.00として、

各々種牡馬の産駒の産駒の平均収得賞金の割合を数値で表したもののことを

さします。

1.00が平均となり、数値が大きくなるほど産駒が多くの賞金を獲得して

いることを表します。

これを数式であらわすと下記のようになります。


   (産駒の総収得賞金÷産駒の出走頭数)

           ÷出走馬総収得賞金÷総出走頭数)
posted by 競馬の錬金術師 at 19:34 | Comment(0) | TrackBack(2) | 競馬用語集 あ
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