ドリームジャーニーとは

ドリームジャーニーとは

ドリームジャーニー 性別 牡
毛色 鹿毛
品種 サラブレッド
生誕 2004年2月24日
死没 (現役競走馬)
父 ステイゴールド
母 オリエンタルアート
生産 白老ファーム
生国 日本(北海道白老町)
馬主 サンデーレーシング
調教師 池江泰寿(栗東)
競走成績 4戦3勝
獲得賞金 9100万円
ドリームジャーニーは日本の競走馬である。


ドリームジャーニーの戦績2歳の夏に新潟競馬場の新馬戦で蛯名正義騎手を背にデビューして初勝利を挙げる。次
走の芙蓉ステークスでも直線で強烈な末脚を披露し、2勝目を挙げる。初の重賞参戦と
なった東京スポーツ杯2歳ステークスでは出遅れや掛かる癖が響き、フサイチホウオー
の3着に敗れる。2歳牡馬の頂点を決める朝日杯フューチュリティステークスでは最後方
から直線で一気に他馬を抜き去り、初G1制覇を成し遂げた。 体系も小柄で、直線で鋭
い脚を使う馬であり、4戦とも出走メンバー中最速上がりを記録している。


ドリームジャーニーの競走成績
日付 競馬場 レース名 格 距離 人気 着順 騎手 斤量 タイム 馬体重 1着(2着)馬
2006年9月3日 新潟 2歳新馬 芝1400 2人 1着 蛯名正義 54 1:23.8 426 (デスコベル
ダ)
9月30日 中山 芙蓉ステークス OP 芝1600 3人 1着 蛯名正義 54 1:35.2 416(-10) (ロ
ーズオットー)
11月18日 東京 東京スポーツ杯2歳ステークス GIII 芝1800 2人 3着 蛯名正義 55 1:48
.8 420(+4) フサイチホウオー
12月10日 中山 朝日杯フューチュリティステークス GI 芝1600 2人 1着 蛯名正義 55 1
:34.4 416(-4) (ローレルゲレイロ)


ドリームジャーニーの血統表ドリームジャーニーの血統 (サンデーサイレンス系(ヘイルトゥリーズン系)/North
ern Taste4×3=18.75%


ステイゴールド 1994年
黒鹿毛 白老町 *Sunday Silence 1986
黒鹿毛 アメリカ Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
ゴールデンサッシュ 1988
栗毛 北海道 *ディクタス
Dictus Sanctus
Dronic
ダイナサッシュ *ノーザンテースト
*ロイヤルサッシュ


オリエンタルアート 1997年
栗毛 北海道白老町 メジロマックイーン
芦毛 メジロティターン
芦毛 メジロアサマ
*シェリル
メジロオーロラ *リマンド
メジロアイリス
エレクトロアート 1986
栗毛 *ノーザンテースト
Northern Taste Northern Dancer
Lady Victoria
*グランマスティーヴンス
Grandma Stevens Lt. Stevens
Dhow F-No.8-c





出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B8%E3
%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BC" より作成



posted by 競馬の錬金術師 at 05:04 | Comment(0) | TrackBack(1) | 競馬用語集 た

ディアデラノビアとは

ディアデラノビアとは

牝 栗毛 栗東・角居勝彦厩舎 2002年1月28日生 父サンデーサイレンス 母ポトリザリス

施行日 場所 格 レース名 距離 重
量 騎手 人
気 着差 着
順 time 上り 走り方 体
重 1(2)着馬
04 12/12 阪神 新馬 芝1600良 54 武幸四郎 2 1 3/4 1 1.36.1 S 34.7 中鋭伸 418 マルブツライト
05 1/15 京都 500 白梅賞 芝1600良 54 安藤勝己 1 2 1 1.36.5 S 34.0 直一気 414 エアメサイア
3/ 5 阪神 G3 チュー
 リップ賞 芝1600良 54 安藤勝己 1 5 7 1.36.1 S 35.4 折合ず 420 エイシンテンダー
3/13 阪神 G2 フィリーズ
レビュー 芝1400良 54 安藤勝己 2  1/2 4 1.21.3 M 34.2 外進出 420 ラインクラフト
4/24 東京 G2 フローラS 芝2000良 54 武豊 2 首 1 2.01.8 S 33.8 殿一気 422 レースパイロット
5/22 東京 G1 優駿牝馬 芝2400良 55 K.デザーモ 3  1/2 3 2.28.9 S 33.7 中鋭伸 426 シーザリオ
06 1/ 5 京都 G3 京都金杯 芝1600良 54 武豊 2 2 1/2 6 1.34.4 S 34.7 中一杯 422 ビッグプラネット
1/29 京都 G3 京都牝馬S 芝1600良 54 武豊 1 2 1/4 5 1.33.9 S 33.6 後伸も 416 マイネサマンサ
3/12 中山 G3 中山牝馬S 芝1800良 55 岩田康誠 2 1 1/4 2 1.48.0 M 34.4 外鋭伸 422 ヤマニンシュクル
4/15 阪神 G2 マイラーズC 芝1600稍 55 岩田康誠 4 2 3 1.36.5 S 34.5 中伸も 428 ダイワメジャー
5/14 東京 G1 ヴィクトリア
マイル 芝1600稍 55 岩田康誠 4 2 3/4 3 1.34.4 S 33.8 中伸も 436 ダンスインザムード
9/24 中山 G2 オールカマー 芝2200良 55 岩田康誠 6 首 3 2.12.1 S 35.1 中伸も 434 バランスオブゲーム
10/15 東京 G3 府中牝馬S 芝1800良 55 北村宏司 1 首 3 1.47.5 S 33.3 末目立 434 デアリングハート
11/12 京都 G1 エリザベス
女王杯 芝2200良 56 岩田康誠 4  1/2 3 2.11.7 H 34.6 一瞬伸 436 フサイチパンドラ

posted by 競馬の錬金術師 at 06:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

ドリームパスポートとは


ドリームパスポートとは

ドリームパスポート 性別 牡
毛色 青鹿毛
品種 サラブレッド
生誕 2003年3月14日
死没 (現役競走馬)
父 フジキセキ
母 グレースランド
母の父 トニービン
生産 白老ファーム
生国 日本(北海道白老町)
馬主 ジョイ・レースホース(株)
調教師 松田博資(栗東)
競走成績 11戦3勝
獲得賞金 2億8169万円7000円

ドリームパスポート(2003年 - )は、日本の競走馬である。



ドリームパスポートの戦績デビュー戦から、11戦しているが、1戦ごとに騎手が乗り替わっている。

2歳の夏に小倉競馬場の新馬戦で高田潤を背にデビューするが、後に阪神ジュベナイルフィリーズを勝つテイエムプリキュアの3着に敗れる。次の未勝利戦も後に朝日杯フューチュリティステークスを勝つフサイチリシャールの後塵を拝する。3戦目で初勝利を挙げるが、4戦目の萩ステークスではまたしてもフサイチリシャールの2着、続く京都2歳ステークスも、2着に敗れた。

翌年、3歳になり、初の重賞参戦となったきさらぎ賞から始動し、レースでは直線で猛追し後の2冠馬メイショウサムソンに1/2馬身差をつけ1着となり、初重賞制覇を飾った。続く、スプリングステークスではメイショウサムソンの3着に敗れるが、皐月賞の優先出走権を獲得した。

初めてのGI出走となる皐月賞では10番人気と低評価であった。レースでは直線一時先頭に立つも、ゴール手前でメイショウサムソンに交わされ2着に敗れる。続く、クラシック2戦目となる東京優駿(日本ダービー)では、距離適性の不安が囁かれ7番人気であったが、直線で鋭く伸び、メイショウサムソンの3着と健闘した。

秋初戦の神戸新聞杯では、夏に軽い骨折をしたことや、東京優駿(日本ダービー)の1着、2着馬が出走したこともあり3番人気となった。しかし最後の直線で大外から一気に追い込み、最後はメイショウサムソンを交わし、重賞2勝目をあげた。そして2番人気で迎えた菊花賞では横山典弘に乗り替わり、GI初制覇が期待されたレースとなったが、外からアドマイヤメインを交わしたものの、その外からソングオブウインドに差されて2着に敗れた。


ドリームパスポートの競走成績
日付 競馬場 レース名 格 距離 人気 着順 騎手 斤量 タイム 馬体重 1着(2着)馬
2005年9月3日 小倉 2歳新馬 芝1200 6人 3着 高田潤 54 1:09.9 482 テイエムプリキュア
9月25日 阪神 2歳未勝利 芝2000 4人 2着 横山典弘 54 2:06.7 468(-14) フサイチリシャール
10月15日 京都 2歳未勝利 芝1600 1人 1着 安藤勝己 55 1:34.8 462(-6) (ハイブレッド)
2005年10月29日 京都 萩ステークス OP 芝1800 1人 2着 岩田康誠 55 1:49.6 464(+2) フサイチリシャール
11月26日 京都 京都2歳ステークス OP 芝2000 2人 2着 高田潤 55 2:01.5 458(-6) マルカシェンク
2006年2月12日 京都 きさらぎ賞 GIII 芝1800 2人 1着 安藤勝己 56 1:47.4 460(+2) (メイショウサムソン)
3月19日 中山 スプリングステークス GII 芝1800 2人 3着 ミルコ・デムーロ 56 1:48.9 464(+4) メイショウサムソン
4月16日 中山 皐月賞 GI 芝2000 10人 2着 高田潤 57 2:00.0 464(0) メイショウサムソン
5月28日 東京 東京優駿(日本ダービー) GI 芝2400 7人 3着 四位洋文 57 2:28.3 462(-2) メイショウサムソン
9月24日 中京 神戸新聞杯 GII 芝2000 3人 1着 高田潤 56 1:58.1 462(0) (メイショウサムソン)
10月22日 京都 菊花賞 GI 芝3000 2人 2着 横山典弘 57 3:02.7 466(+4) ソングオブウインド


ドリームパスポートの血統表ドリームパスポートの血統 サンデーサイレンス系(ヘイルトゥリーズン系)


*フジキセキ 1993年
青鹿毛 千歳市 Sunday Silence 1986
黒鹿毛 アメリカ Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
ミルレーサー
Millracer 1983
栗毛 アメリカ Le Fabuleux Wild Risk
Anguar
Marston's Mill In Reality
Millicent


グレースランド 1998年
栗毛 北海道白老町 *トニービン
Tonny Bin 1983
鹿毛 アイルランド *カンパラ
Kampala Kalamoun
State Pension
Severn Bridge Hornbeam
Priddy Fair
ゴールデンサッシュ 1988
栗毛 北海道 *ディクタス
Dictus Sanctus
Dronic
ダイナサッシュ *ノーザンテースト
ロイヤルサッシュ F-No.1-t

ドリームパスポートの近親ステイゴールド(伯父)
サッカーボーイ(祖母の兄)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88" より作成
posted by 競馬の錬金術師 at 06:03 | Comment(0) | TrackBack(2) | 競馬用語集 た

ディープインパクトとは

ディープインパクト とは

★三冠馬といつまでも一緒に!ディープインパクト★

ディープインパクト
性別 牡
毛色 鹿毛
品種 サラブレッド
生誕 2002年3月25日
父 サンデーサイレンス
母 ウインドインハーヘア
生産 ノーザンファーム
生国 日本(安平町)
馬主 金子真人HD(株)
調教師 池江泰郎(栗東)
競走成績 11戦10勝(日本)
1戦0勝(フランス)
獲得賞金 10億1917万5000円
228,600ユーロ
ディープインパクトは、日本の競走馬。デビュー以来無敗で2005年の皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞に勝利し、1994年のナリタブライアン以来11年ぶり史上6頭目、21世紀に入ってからは初めての牡馬クラシック三冠を達成した。なお、デビューから無敗での三冠制覇は1984年のシンボリルドルフ以来21年ぶり史上2頭目の快挙であった。

2005年末の有馬記念では初黒星を喫するもその年のJRA賞では年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出された。

翌2006年も活躍を続け、天皇賞(春)、宝塚記念を勝利する。この後に海外遠征を挙行しフランスの凱旋門賞に出走するが失格になる。帰国後はジャパンカップと有馬記念に勝利し、シンボリルドルフとテイエムオペラオーに並ぶGI7勝を上げて同年に引退した。

★三冠馬といつまでも一緒に!ディープインパクト★



ディープインパクトのプロファイル

父サンデーサイレンスは日本競馬史上に残る種牡馬。母ウインドインハーヘアは独G1のアラルポカルに優勝し、エプソムオークスでも2着に入った。

半姉に、2003年にデビューから無傷の5連勝を飾り、6戦目のスプリンターズステークス4着を最後に引退したレディブロンド(父シーキングザゴールド)、全兄に2004年のスプリングステークスを制したブラックタイド、全弟に2005年の東京スポーツ杯2歳ステークス3着のオンファイア。

曾祖母ハイクレア(Highclere)は、エリザベス女王が所有し、1000ギニー、ディアヌ賞を勝ちキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス2着の名牝だった。この一族からは1989年のエプソムダービーなどを制したナシュワン、2002年のドバイシーマクラシックなどに勝ったネイエフ、2003年のNHKマイルカップなどを制したウインクリューガー、2006年のマーメイドステークスを制したソリッドプラチナムがいる。

北海道早来町(現在の安平町)のノーザンファームで生まれたディープインパクトは0歳時にセレクトセールに上場され、全兄ブラックタイドと同じ馬主である金子真人に7000万円で落札された。馬体の薄さが嫌われてか上場されたサンデーサイレンスの産駒14頭のうち9番目の落札価格だった。この時、金子はその毛色と瞳の輝きに衝撃を受け、購入を決めたという。また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいと思いを込め「ディープインパクト」と名付けた。

★三冠馬といつまでも一緒に!ディープインパクト★



ディープインパクトの経歴

2歳、3歳
2004年12月19日阪神競馬の2歳新馬戦(芝2000m)でデビュー。上がり3ハロン(=600m)を33秒1で駆け抜け、2着のコンゴウリキシオー(後に重賞きさらぎ賞・金鯱賞を制す)に4馬身の差を付けて優勝。

続く京都での若駒ステークスは直線で一気に突き抜け5馬身勝利。この勝ちっぷりで、ディープインパクトの名が一気に全国区となった。続く中山での弥生賞。関東では初出走となったが2歳王者のマイネルレコルト(3着)や京成杯を制したアドマイヤジャパン(2着)以下に勝利し、クラシックの最有力馬に躍り出る。

第66回皐月賞では、レース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで追い込まれ後手を踏み、最後方からの競馬になるが、17頭のライバルを横目に最後は2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利。勝利ジョッキーインタビューで武豊は「いや、もうパーフェクトですよ。走っているより飛んでいる感じだったんで」と言葉を残した。無敗での皐月賞制覇は2001年のアグネスタキオン以来、史上16頭目。そしてレース後の記念撮影で武豊は指を1本立てた(シンボリルドルフの三冠競走で主戦騎手であった岡部幸雄が行ったパフォーマンス)。

ディープインパクト(2005年5月29日、東京競馬場にて、東京優駿(日本ダービー))こうして迎えた第72回東京優駿(日本ダービー)。左回りコースは初出走となったが単勝支持率は73.4%(オッズは1.1倍)とハイセイコーの持っていた当競走における単勝支持率最高記録を更新する人気となった。スタートは、またしても皐月賞同様に後方からだったがその人気を裏切ることなく2着インティライミに5馬身の差をつけて、前年のキングカメハメハに並ぶ2分23秒3のレースレコードタイで優勝し、史上6頭目1992年のミホノブルボン以来となる無敗の二冠を達成した。レース後の記念撮影で武豊は指を2本立てた。

秋初戦となる阪神での神戸新聞杯ではトウショウボーイのレースレコードを更新する1分58秒4の勝ちタイムで勝利。

2005年10月23日京都競馬場にて、菊花賞そして三冠のかかった第66回菊花賞。前々日発売の金曜日時点での単勝支持率が90%を超えるなど、まさにディープインパクト一色となった。レースではスタート後からホームストレッチを過ぎるあたりまでかかり続けた(武豊の証言によれば、一周目のゴール板を正規のゴールと勘違いしてしまったとのこと)。向こう正面では落ち着きを取り戻し、直線に入ってからは先に抜け出したアドマイヤジャパンを上がり3ハロン33秒3の脚で交わし2馬身差をつけて優勝、史上2頭目の無敗での三冠馬となった。レース後の記念撮影で武豊は指を3本立てた。

菊花賞の単勝支持率は79.03%であり、この支持率は菊花賞としては1963年のメイズイ(6着)の83.2%に次ぐ史上2位、菊花賞優勝馬としては1943年のクリフジの75%を超える史上最高であった。単勝の配当は100円に対して100円で、GI級競走での元返しは1965年天皇賞(秋)のシンザン以来、40年ぶりの記録となった。また、入場者数は前年の同レースと比べて182%となる13万6701人を記録し、菊花賞記録となった。京都競馬場の入場者記録としては、レディース待遇のあった1995年のエリザベス女王杯に次ぐ、史上2位の記録である。馬券の売り上げも前年比112.2%を記録した。さらに、全ての馬券において、ディープインパクトが絡んでいる馬券は、売り上げの89%を超えた。

第50回有馬記念(2005年12月25日撮影 ハーツクライの2着に敗れ、連勝記録が『7』で途絶える)ディープインパクトは菊花賞後に史上初となる無敗でのグランプリ制覇がかかった、古馬と初対決の有馬記念に出走した。レース当日の中山競馬場には、16万人もの大観衆が押し寄せ、単勝オッズは1.3倍を記録したが、ハーツクライの前に半馬身及ばず2着に敗れ8戦目にして初黒星を喫した。

JRA賞選考委員会の記者投票では最優秀3歳牡馬には満票(291票)で、年度代表馬では285票(残り6票はディープインパクトに初黒星をつけたハーツクライ)を獲得し、それぞれ選出された。


4歳
2006年初戦は阪神大賞典。デルタブルースやトウカイトリックを寄せ付けず3 1/2馬身の差で優勝。ゴール前では武豊が手綱を弛める余裕があり、順調なスタートを切った。

4月30日、続く本番の天皇賞(春)ではスタートでは前年の皐月賞、東京優駿(日本ダービー)同様に出遅れたが、道中は最後方から2番手の位置で折り合いをつけ、3コーナー付近から徐々に進出を開始し、4コーナーで先頭に起つとそのまま後続を全く寄せ付けず2着のリンカーンに3 1/2馬身の差を付け優勝、75.3%のレース史上最高の単勝支持率に応えた。勝ち時計は3分13秒4で、1997年の第115回競走でマヤノトップガンが記録した3分14秒4のレコードを1秒更新した。レース後の記念撮影で武豊は指を4本立てた。この時に2着に入ったリンカーンに騎乗した横山典弘をして、「(リンカーンは、生まれた)時代が悪かった」と言わしめるほどの内容だった。

5月8日、凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランが発表され、その前哨戦として6月25日に京都競馬場で開催される第47回宝塚記念に出走することとなった。事前に行われたファン投票では89,864票を集め1位となり、単勝支持率も天皇賞(春)に続きレース史上最高の75.2%をマークした。当日の京都競馬場は雨で馬場が悪くなっていたがここでも後方から徐々に進出を開始、直線では馬場外目を鋭く伸び2着のナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝した。そして同競走を優勝したことで史上7頭目にして史上最速の(収得賞金額)10億円ホースとなった。レース後の記念撮影で武豊は指を5本立てた。

7月10日、IFHA(国際競馬統括機関連盟)から発表された「トップ50ワールドリーディングホース」で125ポンドに評価され、前年の凱旋門賞優勝馬で当年はタタソールズゴールドカップ(愛G1)に勝利したハリケーンラン、また前年のブリーダーズカップ・ターフの覇者で当年はコロネーションカップ(英G1)を制したシロッコと並び、ランキングが設立された2003年以降、日本馬として初めて首位にランクされた。

8月9日、凱旋門賞出走のために帯同馬のピカレスクコート(牡4 栗東:池江泰寿厩舎)と共に出国し、フランスに到着した。

10月1日、凱旋門賞は8頭という史上2番目の少頭数で行われた。好スタートを切ったディープインパクトは、道中2〜3番手の位置でレースを進め、最後の直線では一時先頭に立つも、最後に勝利したレイルリンクとプライドの3歳馬に交わされて3着だった。

日本に帰国後の10月11日に2006年限りで現役を引退することが発表され、51億円ものシンジケートが組まれた。これは日本で繋養される種牡馬としては史上最高価格である。

凱旋門賞の後は、池江によって10月29日の天皇賞(秋)が復帰初戦の予定とされ、これに勝利すれば天皇賞の春・秋連覇という期待があったが、この後に池江は「帰国してから日が浅いので、天皇賞(秋)は回避する」という主旨のコメントを出し、日本国内での復帰初戦はそれから1ヵ月後のジャパンカップとなった。

そして迎えた復帰戦の11月26日のジャパンカップでは、ディープインパクトが出走することに加え、前年の有馬記念以来11か月ぶりにディープインパクトとハーツクライの再戦が実現するということもあり、東京競馬場には前年の同レースの125.7%となる12万182人のファンが押し寄せた。前年の暮れの雪辱を果たせるのか、さらに凱旋門賞の敗退とその後に起きた薬物騒動をこのレースの勝利によって払拭できるのか注目された。単勝支持率は61.2%で、ディープインパクトが日本国内で走ったレースの中では最も低かったが、これでもジャパンカップとしては史上最高の支持率だった。レースはディープインパクトが終始最後方で待機したままで、第3コーナーから徐々に前へ進出し、直線に向くと内に入った当年のカルティエ賞年度代表馬ウィジャボードを初めとする他馬を一気に捲くり、最終的にはドリームパスポートに2馬身差をつけ優勝した。レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに復活をアピールした。そして表彰式に出るときに武豊はファンと一緒になって万歳三唱をした。記念撮影では武の5本指に金子オーナーの1本指が加わって六冠を表す6本指が出来た。

そして12月24日、引退レースとなる有馬記念に出走した。事前に行われたファン投票では119,940票を集め1位となった。レースではまず後方3番手につけ、そして3コーナーから追い出して直線で先頭に立ち、最後は武豊が手綱を抑えながらポップロックに3馬身の差をつける圧勝で引退レースに勝利し、有終の美を飾った。この後、ウイニングランは行われなかったが、記念撮影では武の5本指に金子オーナーの2本指が加わって七冠を表す7本指が出来た。そして当日のすべての競走が終わった後に引退式が行われた。

引退後
2007年から北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬として活動する。なお、初年度の種付料は現在の日本国内の種牡馬としては最高額となる1200万円と発表されている。2010年に初年度産駒がデビューする予定。




★三冠馬といつまでも一緒に!ディープインパクト★


ディープインパクトの競走成績
年月日 開催 競走名(グレード) 枠・馬番 オッズ 着順 距離 タイム(上り3F) 着差 騎手 勝馬/(2着馬)
2004 12. 19 阪神 2歳新馬 4枠4番 1.1(1人) 1着 芝2000m(良) 2:03.8(33.1) 4馬身 武豊 (コンゴウリキシオー)
2005 1. 22 京都 若駒ステークス 4枠4番 1.1(1人) 1着 芝2000m(良) 2:00.8(33.6) 5馬身 武豊 (ケイアイヘネシー)
3. 6 中山 弥生賞(GII) 8枠10番 1.2(1人) 1着 芝2000m(良) 2:02.2(34.1) クビ 武豊 (アドマイヤジャパン)
4. 17 中山 皐月賞(GI) 7枠14番 1.3(1人) 1着 芝2000m(良) 1:59.2(34.0) 2 1/2身 武豊 (シックスセンス)
5. 29 東京 東京優駿(GI) 3枠5番 1.1(1人) 1着 芝2400m(良) 2:23.3(33.4) 5馬身 武豊 (インティライミ)
9. 25 阪神 神戸新聞杯(GII) 6枠9番 1.1(1人) 1着 芝2000m(良) 1:58.4(34.1) 2 1/2身 武豊 (シックスセンス)
10. 23 京都 菊花賞(GI) 4枠7番 1.0(1人) 1着 芝3000m(良) 3:04.6(33.3) 2馬身 武豊 (アドマイヤジャパン)
12. 25 中山 有馬記念(GI) 3枠6番 1.3(1人) 2着 芝2500m(良) 2:32.0(34.6) 1/2馬身 武豊 ハーツクライ
2006 3. 19 阪神 阪神大賞典(GII) 2枠2番 1.1(1人) 1着 芝3000m(稍) 3:08.8(36.8) 3 1/2身 武豊 (トウカイトリック)
4. 30 京都 天皇賞(春)(GI) 4枠7番 1.1(1人) 1着 芝3200m(良) R3:13.4(33.5) 3 1/2身 武豊 (リンカーン)
6. 25 京都 宝塚記念(GI) 6枠8番 1.1(1人) 1着 芝2200m(稍) 2:13.0(34.9) 4馬身 武豊 (ナリタセンチュリー)
10. 1 ロンシャン 凱旋門賞(GI) 2枠1番 1.1(1人) 3着 芝2400m(稍) 1/2馬身 武豊 レイルリンク
11. 26 東京 ジャパンC GI 11 6 6 1.3(1人) 1着 武豊 57 芝2400m(良) 2:25.1(33.5) -0.3 (ドリームパスポート)
12. 24 中山 有馬記念 GI 14 3 4 1.2(1人) 1着 武豊 57 芝2500m(良) 2:31.9(33.8) -0.5 (ポップロック)


良…良馬場、稍…稍重馬場、重…重馬場、不…不良馬場、R…レコード


逸話
皐月賞までは順調に勝ち進んだものの、速いスピード馬に特有の「蹄の薄さ」が問題になった。蹄が薄いと蹄鉄がうまく蹄に固定できないため、落鉄の危険性が高くなり、レースに際して不安要素になることから、装蹄師に相談して、最新の蹄鉄を装着することにした。その特殊蹄鉄は、標準のものと比べて極めて薄いものであり、なおかつ装締によって蹄に負担がかからないよう、従来の釘による装締を止め、クッションと新エクイロックスという特殊なパテで蹄に装着させたものである。ディープインパクトはこの蹄鉄で次走の東京優駿(日本ダービー)に勝利し、菊花賞も勝って三冠を制した。関係者の話では、特殊蹄鉄のおかげで三冠を達成できたということである。これは、「シンザン鉄」と呼ばれた特殊蹄鉄を用いて蹄の負担を軽減した先輩三冠馬シンザンに通じるところがある。
ディープインパクトの蹄鉄の減りは他の馬に比べて遅いという話がある。エアシャカールが2週間使用した蹄鉄とディープインパクトが3週間使用した蹄鉄を比べてディープインパクトの蹄鉄の方が減りが少なかった。これはかき込むような走り方でなく、きれいな飛びを持っている証拠とされている。もっとも、のちにはパワーが増したのか、蹄鉄の減り方は普通になったともいわれている。また、犬や猫などのように後ろ足で耳を掻くことができるほど体が柔らかいという(同じような行為は同じ三冠馬のミスターシービーにもあったという)。
心肺機能が他の馬より優れているのも強さの一つと考えられている。まず、心拍数が最大になったときの血液のスピードを「VHRmax」(単位はm/s・メートル毎秒)、ゴール直後から心拍数が100を切るまでの時間を「HR100」といい、前者は持久力を、後者は回復力を示すものである(前者は数値が大きければ大きいほど、後者は数値が少なければ少ないほどよい)。3歳以上の馬のVHRmaxの平均は14.6前後であるのに対し、ディープインパクトは菊花賞直前で16.0を示した。HR100も大抵の3歳馬は10分以上であるが、ディープインパクトは3分程度であった。
牧場にいた頃は集団では常に先頭を走っていて、他の馬が走るのをやめても自分だけは走り続け、ケガをしても走るのをやめなかったという。同じノーザンファームの同期生にはシーザリオ、ラインクラフト、カネヒキリ、インティライミ、ストーミーカフェ、キングストレイル、ローゼンクロイツ、ディアデラノビア、ペールギュント、ヴァーミリアンといったメンバーが名を連ねている。
自分の理想体重を知っているのか、カイバの食べる量を自分で調整することもあると関係者は語っている。
日本では2007年に産まれてくる産駒から個体識別のためにマイクロチップを埋め込むことが義務付けられるが(2006年に産まれた産駒や現役馬は順次導入予定)、フランスでは2006年から全ての出走馬にマイクロチップを埋め込むことが義務付けられており、凱旋門賞に出走したディープインパクトにも2006年7月2日、マイクロチップが埋め込まれた。これは日本産馬としては導入第1号となった。ちなみに、導入第2号はフランスに帯同したピカレスクコートである。
有馬記念で思わぬ敗戦を喫したディープインパクトだが、ハーツクライの主戦ルメールと調教師の橋口は新聞等のインタビューで、異口同音に「もう一度ディープインパクトに勝てるか怪しい」と語っている。


日本ダービーを勝つためにもっとも必要なのが運と言われるように、ディープインパクト自身も様々な強運振りを発揮している。菊花賞当日、午前10時頃から振り出した雨は、午後1時頃にピークとなり、ターフにも湿りが目立っていたが、メインレース直前に突如晴れ間が差し込み、出走時にはすっかり晴れ上がっていた。そのおかげで馬場状態は良を示しており、人間でも馬でもどうしようもない一番の不安がなくなったと思われる。


JRA・マスコミによる過剰扱い
誰もがその実力を認めるディープインパクトだが、近年の売上金低迷に悩む日本中央競馬会(JRA)が競馬の人気回復を焦るあまり、また、マスコミがより視聴者の関心を得るために、ディープインパクトを過剰扱いしている点が批判されることも多い。特に東京優駿(日本ダービー)当日にJRAがディープインパクトの像を展示した点については「勝つ可能性は高いとは言え結果も出ていないのに胴元がこんなに特定の馬をひいきするなんて、まるで八百長ではないか」と痛烈に批判された。ハルウララの騒動と同様に、意図的にアイドルホースを作り上げようとする試みには違和感を抱く競馬ファンも少なくない。



ディープインパクトの血統表ディープインパクトの血統 (サンデーサイレンス系/アウトブリード)


*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ Halo 1969
黒鹿毛 アメリカ Hail to Reason 1958 Turn-to
Nothirdchance
Cosmah 1953 Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well 1975
鹿毛 アメリカ Understanding 1963 Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower 1964 Montparnasse
Edel Weiss


*ウインドインハーヘア
Wind in Her Hair 1991
鹿毛 アイルランド Alzao 1980
鹿毛 アメリカ Lyphard 1969 Northern Dancer
Goofed
Lady Rebecca 1971 Sir Ivor
Pocahontas
Burghclere 1977
鹿毛 イギリス Busted 1963 Crepello
Sans Le Sou
Highclere 1971 Queen's Hussar
Highlight F-No.2-f


日本の三冠馬
牡馬
セントライト | シンザン | ミスターシービー
シンボリルドルフ | ナリタブライアン | ディープインパクト


牝馬
クリフジ(変則) | メジロラモーヌ | スティルインラブ


"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%88_%28%E7%AB%B6%E8%B5%B0%E9%A6%AC%29" より作成
posted by 競馬の錬金術師 at 05:45 | Comment(0) | TrackBack(4) | 競馬用語集 た

ドバイワールドカップとは


ドバイワールドカップとは

ドバイワールドカップ(Dubai World Cup)とは、毎年3月下旬の日曜日にアラブ首長国連邦を構成する首長国の1国、ドバイにあるナド・アルシバ競馬場のダート2000メートルで行われる競馬の競走である。ドバイの各レースではイスラームの教義上、馬券の発売はドバイ国内では行なわれない。


ドバイワールドカップのプロファイル
1995年に同国の王族で国防大臣、また世界有数のオーナーブリーダーでもあるシェイク・モハメド氏が、当時の世界最高賞金レースだったアメリカのブリーダーズカップクラシックを超える賞金の競馬の競走を設立を考案し誕生した国際レースである。

その名に相応しく世界各国の最強馬クラスの競走馬が参戦する為、アメリカのケンタッキーダービーやブリーダーズカップクラシックと並び、世界中から注目を集めるダートの世界最高峰の競走である。

同競走の出走条件はサラ系北半球産は4歳以上、南半球産は3歳以上と北半球と南半球で出走年齢が分けられている。

負担重量は南半球産の3歳馬が53キロ、それ以外が57キロ、牝馬は2キロ減と定められている。

総額賞金は世界最高金額の600万ドルで(約6億9000万円)、1着賞金は360万ドル(約4億1000万円)、2着賞金は120万ドル(1億4000万円)、3着賞金は60万ドル(約6900万円)、4着賞金は30万ドル(約3500万円)、5着賞金は18万ドル(約2100万円)、6着賞金は12万ドル(約1400万円)といずれも世界最高の着順賞金額を誇る。

また同日にはドバイミーティングと題して「ドバイカハイラクラシック」「ドバイシーマクラシック」「ドバイデューティーフリー」「ドバイゴールデンシャヒーン」「ゴドルフィンマイル」「UAEダービー」など他の国際招待レースも開催され、ドバイだけでなくアラブ首長国連邦の競馬の祭典として定着している。

1999年から2002年までワールドシリーズ・レーシングチャンピオンシップに参加していたがアラブ首長国連邦の主要航空会社であるエミレーツ航空のスポンサー撤退が影響し、2003年から突然同シリーズから撤退をした。

2006年は2位入線のブラスハットが薬物違反で失格となったが、ブラスハットの関係者から異議申し立てがあったため最終的な着順決定が6月26日以降となっていた。しかし、6月28日の裁定の結果、失格は覆らなかった。


ドバイワールドカップの歴史1996年 創設
1997年 3月29日に施行予定も大雨で延期。1週間後の4月3日に順延開催
1998年 国際リステッドから国際GIに昇格
1999年
ワールドシリーズ・レーシングチャンピオンシップに参加
イギリスダービー優勝馬High-Rise(ハイライズ)とケンタッキーダービー優勝馬Silver Charm(シルバーチャーム)が出走、1923年以来の史上2度目の英米ダービー馬が対決(前者8着、後者6着)
2000年 アラブ首長国連邦のDubai Millennium(ドバイミレニアム)がコースレコード1.59.50で圧勝
2003年 ワールドシリーズ・レーシングチャンピオンシップから撤退
2006年 2位入線のブラスハットが薬物違反で失格

ドバイワールドカップの主なステップレース
ドバイ地区
マクトゥームチャレンジラウンド3 (Maktoum Challenge RIII) GII 北半球産4歳以上・南半球産3歳以上 ダート2000メートル
マクトゥームチャレンジラウンド2 (Maktoum Challenge RII) GIII 半球産4歳以上・南半球産3歳以上 ダート1800メートル
アメリカ
サンタアニタハンデキャップ (Santa Anita Handicap) GI 4歳以上 ダート10ハロン
ドンハンデキャップ (Donn Handicap) GI 3歳以上 ダート9ハロン
サンアントニオハンデキャップ (San Antonio Handicap) GII 4歳以上 ダート9ハロン
日本
フェブラリーステークス 日本GI 4歳以上 ダート1600メートル
川崎記念 日本GI 4歳以上 ダート2100メートル
東京大賞典 日本GI 4歳以上 ダート2000メートル

ドバイワールドカップの歴代優勝馬
回 施行日 優勝馬 日本語読み 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師
第1回 1996年3月27日 Cigar シガー 牡6 2:03.84 J.ベイリー B.モット
第2回 1997年4月3日 Singspiel シングスピール 牡5 2:01.91 J.ベイリー M.スタウト
第3回 1998年3月28日 Silver Charm シルバーチャーム 牡4 2:04.29 G.スティーヴンス B.バファート
第4回 1999年3月28日 Almutawakel アルムタワケル 牡4 2:00.65 R.ヒルズ S.スルール
第5回 2000年3月25日 Dubai Millennium ドバイミレニアム 牡4 1:59.50 L.デットーリ S.スルール
第6回 2001年3月24日 Captain Steve キャプテンスティーヴ 牡4 2:00.40 J.ベイリー B.バファート
第7回 2002年3月23日 Street Cry ストリートクライ 牡4 2:01.18 J.ベイリー S.スルール
第8回 2003年3月29日 Moon Ballad ムーンバラッド 牡4 2:00.48 L.デットーリ S.スルール
第9回 2004年3月27日 Pleasantly Perfect プレザントリーパーフェクト 牡6 2:00.24 A.ソリス R.マンデラ
第10回 2005年3月26日 Roses in May ロージスインメイ 牡5 2:02.17 J.ヴェラスケス D.ロマンス
第11回 2006年3月25日 Electrocutionist エレクトロキューショニスト 牡5 2:01.32 L.デットーリ S.スルール


ドバイワールドカップの日本調教馬の参戦この競走は、遠征費用も全て主催者側が用意するという豪華さもあり、日本からも多数の馬が参戦してきた。

1996年の第1回、この前年から中央競馬と地方競馬の交流が盛んとなり、当時ダート戦線で頂点に君臨していたライブリマウントが参戦した。

1997年の第2回は、前年地方競馬の交流重賞で8連勝、この年も壮行レースの川崎記念を圧勝したホクトベガが参戦。しかし、4コーナーで転倒、故障を発症し、予後不良とされその場で安楽死処分となった。

なかなか活躍の無かった日本調教馬であるが2001年の第6回、トゥザヴィクトリーが逃げ粘り2着を確保。ついに日本調教馬にも優勝の光明が見え始めてきた。

2003年はイーグルカフェとゴールドアリュールが出走を予定していたが、イラク戦争の影響で飛行機の調達が出来なくなり、出走回避を余儀なくされた。

2005年にはアジュディミツオーがNAR(船橋)に所属のまま、地方所属馬として初の参戦をしたが6着に敗れた。

回 施行日 参戦馬名 英語表記 性齢 騎手名 管理調教師 着順
第1回 1996年3月27日 ライブリマウント Lively Mount 牡5 石橋守 柴田不二男 6着
第2回 1997年4月3日 ホクトベガ Hokuto Vega 牝7 横山典弘 中野隆良 競走中止
第3回 1998年3月28日 キョウトシチー Kyoto City 牡7 松永幹夫 中尾謙太郎 6着
第5回 2000年3月25日 ワールドクリーク World Cleek 牡5 加藤和宏 新井仁 6着
第6回 2001年3月24日 トゥザヴィクトリー
レギュラーメンバー To The Victory
Regular Member 牝5
牡4 武豊
松永幹夫 池江泰郎
山本正司 2着
9着
第7回 2002年3月23日 アグネスデジタル
トゥザヴィクトリー Agnes Digital
To the Victory 牡5
牝6 四位洋文
O.ペリエ 白井寿昭
池江泰郎 6着
11着
第9回 2004年3月27日 アドマイヤドン
リージェントブラフ
サイレントディール Admire Don
Regent Bluff
Silent Deal 牡5
牡8
牡4 安藤勝己
吉田豊
武豊 松田博資
大久保洋吉
池江泰郎 8着
9着
12着
第10回 2005年3月26日 アジュディミツオー Adjudi Mitsuo 牡4 内田博幸 川島正行 6着
第11回 2006年3月25日 カネヒキリ
スターキングマン Kane Hekili
Star King Man 牡4
牡7 武豊
O.ペリエ 角居勝彦
森秀行 4着
7着[1]

↑ 入線順位はカネヒキリ5着、スターキングマン8着であったが、後に2位入線のブラスハットが薬物違反で失格となったため繰り上がった。

ドバイワールドカップの関連キーワード
ドバイミーティング
ドバイデューティーフリー - ドバイワールドカップの前に行われる競走
ブリーダーズカップクラシック - 下半期のダート世界最強馬決定戦
ジャパンカップダート - 日本のダート最強馬決定戦

Dubai World Cup - ドバイワールドカップ公式サイト
Emirares Racing Association - アラブ首長国連邦の競馬統括団体
競馬のGI競走
日本
中央競馬
ダートグレード競走
 海外主要GI競走

ワールドレーシング・チャンピオンシップ
クイーンエリザベス2世カップ | シンガポール航空インターナショナルカップ | KG6世&QEDS
アーリントンミリオン | バーデン大賞 | アイリッシュチャンピオンステークス | 凱旋門賞
カナディアンインターナショナル | コックスプレート | BCターフ | BCクラシック | ジャパンカップ | 香港カップ

5大クラシック
2000ギニー | 1000ギニー | オークス | ダービー| セントレジャー

アメリカ三冠
ケンタッキーダービー | プリークネスステークス | ベルモントステークス

ブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップ
BCジュヴェナイルフィリーズ | BCジュヴェナイル | BCフィリー&メアターフ | BCスプリント
BCマイル | BCディスタフ | BCターフ | BCクラシック

ドバイミーティング
ドバイカハイラクラシック | ゴドルフィンマイル | UAEダービー | ドバイシーマクラシック
ドバイゴールデンシャヒーン | ドバイデューティーフリー | ドバイワールドカップ

香港国際競走
香港ヴァーズ | 香港マイル | 香港スプリント | 香港カップ


"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97" より作成
posted by 競馬の錬金術師 at 17:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

ダイワメジャーとは


ダイワメジャーとは

ダイワメジャー
2005年10月9日 東京競馬場
性別 牡
毛色 栗毛
品種 サラブレッド
生誕 2001年4月8日
死没 現役競走馬
父 サンデーサイレンス
母 スカーレットブーケ
生産 社台ファーム
生国 日本(北海道千歳市)
馬主 大和商事(株)→大城敬三
調教師 上原博之(美浦)
競走成績 19戦6勝(現役)
獲得賞金 5億8325万4000円
■Template (■ノート)
ダイワメジャーは、日本の競走馬である。2004年の皐月賞、2006年の天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップに勝利した。

ダイワメジャー の戦績

ダイワメジャー の2歳デビュー戦は2003年12月28日の中山第4競走(2歳新馬・芝1600m)。1番人気に支持されるも、モンスターロードにクビ差の2着だった。ちなみに、このとき、レース前のパドックで座ってしまうという前代未聞の出来事を起こした。そのことについて、調教師の上原は「緊張のあまりお腹が痛くなり、立っていることができなくなったから。主催者側から出走を取消すことも提案されたが、以後のことを考え出走させた。この馬はトレセン内の知らないところに連れて行かれただけで、下痢をしてしまうほど神経質な性格だ」と、後日、グリーンチャンネルで述べた。


ダイワメジャー の3歳
初勝利は2004年1月17日の中山第3競走(3歳未勝利・ダート1800m)。2着・フサイチバルドルに9馬身差をつけての圧勝だった。そして、平場の条件戦(ダート1800m)4着の後、スプリングステークスに1勝馬ながら出走、11番人気の低評価ではあったが3着に入り、皐月賞の優先出走権を手にした。皐月賞では1勝馬ということもあり、またも10番人気という低評価に甘んじたが、前年に同競走をネオユニヴァースで制したミルコ・デムーロが騎乗し、1番人気に推されたホッカイドウ競馬所属の地方馬コスモバルクを抑えて見事に1着となり、初の重賞制覇がGIとなった。ちなみにレース前、『マイネル&コスモ軍団総帥』で知られるサラブレッドクラブラフィアン代表の岡田繁幸が、「(コスモバルクに)勝つとしたらこの馬」と指名していた。また、ダイワメジャーの皐月賞優勝は、母の父にノーザンテーストを持つサンデーサイレンス産駒にとって、唯一のクラシック制覇となった。しかし、続く東京優駿(日本ダービー)では、キングカメハメハの6着に敗れた。

同年秋は柴田善臣とのコンビでオールカマーから始動。しかし9頭立ての9着に終わる。続く天皇賞(秋)も17頭立ての17着と2戦続けての最下位に終わる。敗因は春先から兆候が出ており、二冠馬タニノムーティエやゴールドアリュールなどが引退に追い込まれた「ノド鳴り」とも呼ばれる喘鳴症であった。天皇賞後、手術を受けるために長期休養に入る。


ダイワメジャー の4歳
翌2005年4月3日、6カ月の休養を経て出走したダービー卿チャレンジトロフィーは芝1600mを1分32秒3の好タイムで制する。安田記念のステップレースとしては距離が短いことから京王杯スプリングカップに出走せず安田記念に直行したが8着に敗れた。

夏の関屋記念では鞍上に横山典弘を迎えて出走したが、2年7カ月ぶりの重賞制覇を果たしたサイドワインダーの前に2着。秋初戦の毎日王冠は5着。クリストフ・ルメールが騎乗したマイルチャンピオンシップでは、先行し抜け出したところをハットトリックに強襲され、ハナ差の2着と涙をのんだ。


ダイワメジャー の5歳
2006年10月29日 第134回天皇賞(秋)2006年2月26日の中山記念では、ミルコ・デムーロと皐月賞以来となるコンビを組んだが、バランスオブゲームの前にまたも2着。しかし次走のマイラーズカップでは、安藤勝己との初コンビで約1年ぶりの勝利を飾った。そして次の安田記念では左回りの競馬場が苦手といわれていたが4着と健闘した。続いての宝塚記念では久しぶりに中距離、2200mのレースということを心配する声もあったが最後の直線では粘りきり4着と健闘した。

秋は毎日王冠から始動。GI馬が6頭という強豪ぞろいのなか、接戦の末、勝利を収める。続く天皇賞(秋)は4番人気だったが、スウィフトカレントに1/2馬身差をつけて快勝し、2度目のGI制覇となった。2年半ぶりのGI制覇というのは、歴代で3番目に長い間隔である。さらに、続けて挑んだマイルチャンピオンシップにも快勝、見事に重賞3連勝を飾ることとなった。


ダイワメジャー の血統表
ダイワメジャーの血統 サンデーサイレンス系(ヘイルトゥリーズン系)/Almahmoud4×5=9.38%


*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ Halo 1969
黒鹿毛 アメリカ Hail to Reason 1958 Turn-to
Nothirdchance
Cosmah 1953 Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well 1975
鹿毛 アメリカ Understanding 1963 Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower 1964 Montparnasse
Edel Weiss


スカーレットブーケ 1988
栗毛 北海道千歳市 *ノーザンテースト
Northern Taste 1971
栗毛 カナダ Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
*スカーレットインク
Scarlet Ink 1971
栗毛 アメリカ Crimson Satan Spy Song
Papila
Consentid Beau Max
La Menium F-No.4-d




母のスカーレットブーケは重賞4勝の実績馬。全姉には、2000年の阪神3歳牝馬ステークスで2着に入ったダイワルージュがいる。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%83%A1%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC" より作成
posted by 競馬の錬金術師 at 16:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

東京競馬場とは


東京競馬場とは

東京競馬場(とうきょうけいばじょう)は、東京都府中市にある中央競馬の競馬場である。所在地から府中と通称される。
施設内には競馬博物館もあり、競馬が開催されていない日でも博物館は開いている。

東京競馬場の歴史
1907年に、現在の東京都目黒区(目黒駅の西側といわれている)に目黒競馬場が開設されたが、その後目黒競馬場で周辺の宅地開発が進み、地代が高騰したことで移転を余儀なくされ、府中に東京競馬場を、1933年11月8日に開設した。10日後の11月18日に東京競馬場での初めての開催を行い、目黒競馬場は完全閉場となった(目黒記念は目黒競馬場にちなんでいる)。

東京競馬場は、1968年にスタンド改築を行い、その後、スタンドの増築を繰り返してきたが、老朽化してきていた。

そこで、2000年に東京競馬場スタンド改築等施設整備計画を発表し、3期に分けての改築を行うこととなった(全面改築完成は2007年春の予定)。

2002年6月からは競馬の開催を休止(中山競馬場等での代替開催)して、馬場改修工事と1期スタンドの完成(スタンドの完成は2002年10月、11月よりパークウィンズとして利用開始)を経て2003年4月26日に、リニューアルオープンした。以前のコースとの主な変更点は次の通りである。

ゴール板が移動し、ホームストレッチ(最後の直線)の長さが芝コースでは、従来の500.4メートルから525.9メートルに長くなった。
内枠の馬に対して危険が指摘されていた芝2000メートルのスタート直後、カーブ状だったコースを直線状に変更
各コーナーが以前よりも緩やかなカーブに変更された。
芝3,400メートル、ダート1,300メートル、2,400メートルのコースを新設し、芝2,200メートル、3,200メートル、ダート1,700メートル、2,300メートルのコースを廃止した。
移動柵の名称をA1,A2,B,C→A,B,C,D,Eに変更した。
障害コースのうち襷コースを廃止して、内馬場に勝馬投票券発売所を増設した(1998年秋から)。
2005年4月に完成したスタンド改修工事・第2期分では、パドックとレーストラックをつなぐ地下馬道が1階座席からガラス越しに見ることができるようになった(ホースプレビュー)。


東京競馬場のギネスワールドレコーズ公認 世界最大級のターフビジョン

2006年8月に三菱電機製の世界最大規模の超大型ビジョン(ターフビジョン)が設置され、10月7日から正式運用された。ゴール前のそれがこれまでの電球管形式からLED方式に変更されるもので、高さ11.2m、幅66.4m、面積743.68m²(2651型)と旧来のサイズの3倍に相当するものが採用された。これによって3画面の分割映像での情報提供ができ、本場のレース・パドックの映像、他会場のレース・パドックの映像はもちろん、着順掲示などを見ることができる。大阪府大阪市住之江区の住之江競艇場にある世界最大級の展示案内板「ボートくん」の667.09m²を上回る大きさとなり、「世界最大の大型映像スクリーン」としてギネスブックに認定された。


東京競馬場のアクセス
東京競馬場の最寄駅は京王競馬場線・府中競馬正門前駅で専用歩道が用意されている。東京競馬開催時は競馬場線の増発と京王線と接続する東府中駅に特急・準特急が臨時停車するほか、府中競馬正門前駅から新宿駅方面に直通する急行電車が運行される。

また、少し離れたJR南武線・武蔵野線の府中本町駅からも専用歩道が用意されている。東京競馬開催時は南武線の川崎方面行きの電車が増発される。

西武多摩川線是政駅からもアクセス可能である。


東京競馬場の主な競走GI
フェブラリーステークス
NHKマイルカップ
ヴィクトリアマイル
優駿牝馬(オークス)
東京優駿(日本ダービー)
安田記念
天皇賞(秋)
ジャパンカップダート
ジャパンカップ
GII
フローラステークス(オークストライアル)
青葉賞(ダービートライアル)
京王杯スプリングカップ
目黒記念
毎日王冠
アルゼンチン共和国杯
京王杯2歳ステークス
GIII
東京新聞杯
根岸ステークス
共同通信杯
ダイヤモンドステークス
クイーンカップ
ユニコーンステークス
エプソムカップ
府中牝馬ステークス
富士ステークス
武蔵野ステークス
東京スポーツ杯2歳ステークス

J・GII
東京ハイジャンプ
J・GIII
東京オータムジャンプ


特別競走
クロッカスステークス
箱根特別
ゆりかもめ賞
立川特別
春麗ジャンプステークス
春菜賞
節分賞
白富士ステークス
テレビ山梨杯
金蹄ステークス
セントポーリア賞
大島特別
バレンタインステークス
カトレア賞
立春賞
早春賞
春望ステークス
ヒヤシンスステークス
アメジストステークス
甲斐駒特別
新緑賞
六社特別
薫風ステークス
テレビ埼玉杯
メトロポリタンステークス
八重桜賞
石和特別
高尾特別
晩春ステークス
スイートピーステークス(オークストライアル)
金峰山特別
府中ステークス
プリンシパルステークス(ダービートライアル)
陣馬特別
サウジアラビアロイヤルカップ
青梅特別
夏木立賞
是政特別
八ヶ岳特別
丹沢ステークス
清里特別
ガーベラ賞
秩父特別
立夏ステークス
カーネーションカップ
日吉特別
フリーウェイステークス
富嶽賞
牡丹賞
青嵐賞
欅ステークス
鎌倉特別
むらさき賞
秋川特別
相模特別
葉山特別
若鮎賞
麦秋ステークス
稲村ヶ崎特別
湘南ステークス
ブリリアントステークス
江ノ島特別
エーデルワイスステークス
伊勢佐木特別
プラタナス賞
本栖湖特別
アイルランドトロフィー
鷹巣山特別
西湖特別
三峰山特別
神無月ステークス
赤富士特別
サフラン賞
山中湖特別
オクトーバーステークス
いちょうステークス
銀蹄ステークス
南武特別
錦秋特別
テレビ静岡賞
河口湖特別
精進湖特別
くるみ賞
多摩川特別
白秋ステークス
紅葉特別
秋陽ジャンプステークス
百日草特別
秋嶺特別
ブラジルカップ
甲斐路特別
ユートピアステークス
晩秋特別
白嶺ステークス
赤松賞
tvk賞
オーロカップ
相模湖特別
神奈川新聞杯
奥多摩ステークス
霜月ステークス
ベゴニア賞
シャングリラ賞
オリエンタル賞
セレブレイション賞
ウェルカムステークス
キャピタルステークス
アプローズ賞


※日本ダービーとジャパンカップの開催日は混雑緩和の意味で1日に開催するレースを11(通常12)に制限している。なお、2005年に限り秋の天皇賞で「エンペラーズカップ100年記念」として戦後初の天覧競馬が行われたことから、この日についても11レースに制限して開催された(2004年の中央競馬50周年記念の時にも天覧競馬が企画され、同様の処置が取られる予定だったが、中止となったため通常と同じ12レースで開催された)。
なお、2006年からダービーデーを盛り上げるということで、ダービー開催日に最終レースとして目黒記念を開催することとなった。なお目黒記念については薄暮レース相当の時間帯(17時発走)で施行するため、レース数は通常同様12となる。

東京競馬場の府中の大欅
第3コーナー内側の俗に「大欅(ケヤキ)」と呼ばれるところの下には、この地域の地名「是政」の由来となった井田摂津守是政の墓所がある。レース中継の際には必ず映り込むため、日本一TV放映の回数が多い墓所となっている。
観戦の妨げとなるにもかかわらずこの木が切られずにいるのは、この付近の木を切った二人の人夫が二人ともその後急死したため、墓のたたりと恐れられ残った一本を切ることを引き受ける人がいなくなったという説がある。この話は寺山修司の著書の中で語られている。だが、墓参りに来る家族はに毎回のように邪魔な木を切っているが、なにも起こらないと言う。
俗に「大欅(ケヤキ)」と呼ばれるが実際に植えられているのは欅ではなく榎(エノキ)である。

東京競馬場のその他キーワード
毎年5月5日に同競馬場に近接する大國魂神社で祭事が行われる関係上、競馬開催の土・日曜日と重複した場合でも競馬の開催は行われず、その前後に開催日を振り替えることがある(これは関東で第3場開催及び関西で開催が行われる場合も同様)。但し、2007年は5月5日の東京競馬の開催が決定している。
関連して、府中市では大國魂神社にまつわる言い伝えに関連して、正月に門松を飾らない、あるいは飾っても松を使用しないという風習があるが、東京競馬場の門前には門松が飾られる(参考リンク:府中市観光協会 - 府中の伝説)。

東京競馬場ではエプソム競馬場と盛岡競馬場に姉妹提携を結んでおり、東京競馬場では交換競走としてエプソムカップ(GIII)、オーロカップ(OP)が施行される。

関連して、場内に岩手県競馬(盛岡競馬・水沢競馬)専用場外発売所が開設されており、東京競馬開催日及び場外発売日には当日の岩手県競馬の全競走及び、翌日(月曜を含む)のメイン競走の勝馬投票券を購入することが出来る。2005年度岩手競馬全日程終了までは馬場内B投票所に開設されていたが、2006年4月8日(2006年度岩手県競馬開催初日)よりメインスタンド1階・101投票所に移転した。

2004年10月9日に台風接近のため中止となった東京競馬の代替開催が、2日後の10月11日に行われたことにより、同日に盛岡競馬場で開催された統一GI競走・マイルチャンピオンシップ南部杯を含む全競走が同場外発売所で発売され、南部杯はターフビジョン・場内テレビでの実況放映も行われた。
2004年より、敬老の日(9月第三月曜日)を最終日とする3連休(土・日・月)における変則開催で、敬老の日当日にも中央競馬が開催されるようになったことに伴い、当日の岩手県競馬の全競走も同場外発売所で発売が行われる。なお、同日がダービーグランプリ開催日と重複する場合は、同競走の実況放映がターフビジョン・場内テレビで行われる。

トキノミノルの馬像と、安田伊左衛門の胸像がある。
1973年4月1日までは、競馬場西側に中央本線の支線、通称「下河原線」の東京競馬場前駅があった。かつてはこの駅が国鉄で最も長い駅名であった。
昭和の終わりから平成の始めにかけて、武豊騎手やオグリキャップなどの人気による空前の競馬ブームが起こり、1990年5月27日の東京優駿(日本ダービー)当日には史上最高の入場者196,517名を集めた。
所在地は東京都府中市日吉町1-1であり、この地名にちなんだレース「日吉特別」も存在するが、横浜市港北区の日吉地区とは何ら関係がない。
松任谷由実(当時は荒井由実)やハイ・ファイ・セットが歌う「中央フリーウェイ」の歌詞にある「競馬場」は東京競馬場を歌ったものであるといわれている。

毎年4〜6月(平年度の第2・3回開催)は日清製粉グループが特別協賛し、ファミリー層に向けたステージイベントや、スペインの洋菓子「チュロス」を販売する特設ブースを設置している(重賞競走のテレビ放送用のインタビューが行われる検量室のインタビューパネルにも日清製粉のロゴマークが貼り付けられている)。

2005年10月22日、同競馬場の第12競走(最終競走)において、日本の公営競技史上最高配当となる3連勝単式・1846万9120円が飛び出した。
2006年の春季からは、NHKマイルカップからヴィクトリアマイル、優駿牝馬(オークス)、東京優駿(日本ダービー)そして安田記念まで5週連続でGI競走が開催される。なお、障害も含めた全24のGI競走中、この東京で開催されるものは3分の1を超える9競走に及ぶ。

東京競馬場でのGI競走(ジャパンカップ・ジャパンカップダートなど、外国馬が出走する場合を除く)では、出走馬のゼッケンの片サイドに馬名が、もう片サイドに当該競走名と回号(例:第1回ヴィクトリアマイル)が記載されている(地方競馬の重賞競走においても、同様の形式がとられている場合がある)。なお、他の競馬場(中山・中京・京都・阪神)で行われるGI競走では、GII以下の競走同様、両サイドに馬名が記載されている(外国馬が出走する場合は、このうち片サイドが英文馬名となる。このゼッケンは1981年よりジャパンカップに限り採用し、1987年秋以降、他レースにも順次拡大した)。
スタンド前の直線は2001年に新潟競馬場がリニューアルされるまで中央競馬最長であった。このため実況の「府中のながーい直線」や「府中の直線は500m!!」(実際には507m)が頭から離れない競馬ファンも多い。


日本の競馬場
中央競馬 地方競馬
東京 | 中山
京都 | 阪神
札幌 | 函館 | 福島
新潟 | 中京 | 小倉
北見 | 岩見沢 | 帯広 | 旭川 | 札幌 | 門別
盛岡 | 水沢 | 大井 | 浦和 | 船橋 | 川崎
名古屋 | 笠松 | 金沢 | 園田 | 姫路
福山 | 高知 | 荒尾 | 佐賀

中央競馬(廃止・休止) 地方競馬(廃止・休止)
目黒 | 横浜 | 宮崎
小樽 | 室蘭 | 函館 | 上山
結城 | 取手 | 足利 | 宇都宮 | 高崎
柏 | 八王子 | 大船 | 小田原
新潟 | 三条 | 上諏訪 | 中京
八尾 | 大阪 | 春木 | 淡路 | 紀三井寺
益田 | 出雲大社 | 福間 | 中津


"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E5%A0%B4" より作成
タグ:東京競馬場
posted by 競馬の錬金術師 at 10:51 | Comment(0) | TrackBack(1) | 競馬用語集 た

調教師一覧

調教師一覧

日本中央競馬会(JRA)に所属している(若しくは所属していた)調教師、地方競馬全国協会が調教師免許を発効した調教師、そして海外で活躍している主な調教師の一覧です。

中央競馬の調教師

あ行
浅見秀一
池江泰郎
池添兼雄
石坂正
伊藤修司(故人)
伊藤正徳
伊藤雄二
稲葉幸夫(故人)
岩元市三
大久保房松(故人)
大久保正陽(引退)
大久保洋吉
大沢真(故人)
尾形藤吉(故人)
尾形充弘
音無秀孝
奥平真治

か行
加賀武見
加藤和宏 (JRA)
加藤敬二
加藤修甫(引退)
河内洋
北橋修二(引退)
国枝栄
久保田金造(故人)
栗田勝(故人)
河野通文
郷原洋行
小島太
小島貞博
小林稔(引退)

さ行
境勝太郎(引退)
坂口正則
坂口正大
佐々木晶三
佐山優
柴田政人
嶋田功
白井寿昭
菅原泰夫
鈴木勝太郎(故人)
鈴木康弘
角居勝彦
瀬戸口勉

た行
高松邦男
高松三太
武邦彦
武田作十郎(故人)
武田文吾(故人)
田中清隆
田原成貴(引退)
鶴留明雄
戸山為夫(故人)

な行
内藤繁春(引退)
中尾謙太郎(引退)
中村均
長浜博之
西浦勝一
二ノ宮敬宇
二分久男(引退)
二本柳俊夫(故人)
野平祐二(故人)

は行
函館大経(故人)
橋口弘次郎
橋田満
浜田光正
藤沢和雄
藤本冨良(故人)
布施正(故人)
古川平
堀井雅広

ま行
増沢末夫
松田国英
松田博資
松永幹夫
松元省一
松元茂樹
松山康久
松山吉三郎(引退)
的場均
南井克巳
宮本博
森秀行

や行
安田伊佐夫
保田一隆
安田隆行
保田隆芳(引退)
矢野照正
山内研二
山本正司
湯浅三郎
吉永正人(故人)

わ行
渡辺栄(引退)
[編集]
地方競馬
赤間清松(大井)
加藤和宏 (地方競馬)(金沢)
金山明彦(ばんえい)
川島正行(船橋)
佐々木修一(水沢)
曾和直榮(兵庫)
高橋三郎(大井)
田部和則(北海道)
角田輝也(名古屋)
出川克己(船橋)
宗石大(高知)
荒川友司(笠松・故人)
保利照美(兵庫・引退)
鷲見昌勇(笠松・引退)

日本以外の調教師
アイヴァン・アラン(香港)
アンドレ・ファーブル(フランス)
ヴィンセント・オブライエン(アイルランド・引退)
ウエイン・ルーカス(アメリカ)
エイダン・オブライエン(アイルランド)
サイード・ビン・スルール(UAE)
高岡秀行(シンガポール)
フェデリコ・テシオ(イタリア・故人)
ボビー・フランケル(アメリカ)
ボブ・バファート(アメリカ)
リチャード・マンデラ(アメリカ)
タグ:調教師一覧
posted by 競馬の錬金術師 at 19:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

調教師とは

調教師とは

競馬において厩舎を運営し競走馬を管理することを業とする者のことである。現場では、俗に騎手を逆にした手騎(テキ)と呼ばれている。

日本で中央競馬の調教師になろうとする者は日本中央競馬会が発行する調教師免許を、地方競馬の調教師になろうとする者は地方競馬全国協会の調教師免許を取得することが必要である。この2つの免許は異なるものである。

中央競馬においては主催者(日本中央競馬会(JRA))から与えられる一定数の馬房(馬を飼育する施設)を使って競走馬を管理し、レースに出走させる。栗東トレーニングセンター、美浦トレーニングセンターともに総馬房数が決められており、それを各調教師に配分するという形が取られている。そのため、ある年に調教師になることができる人数は、引退する調教師の人数との関係で自ずと制限される。

調教師となることの出来る人数が限られる以上、調教師免許試験の合格者数も限られており、 年に5〜8人ほどというのが通例である。そのため、しばしば合格率が1割にも満たない超難関となる。なお調教師免許取得者は、免許取得から約1年間、すでに開業している調教師の下で研修を積むのが通例である。

調教師が馬主と預託契約を結ぶことのできる頭数には一定の制限がある(現在は管理馬房数の3倍が上限。馬房数の上限は24とされているため、72頭を上回ることはない)。

調教師の定年制
中央競馬においては、1989年3月1日より調教師の70歳定年制が導入されている。

これは総馬房数が限られているにもかかわらず高齢の調教師が引退しないために世代交代がうまく進まず、調教師試験の合格率が5%前後にまで落ち込むなど旧来の制度の弊害が顕著に表れたためである。

ただし70歳を超える調教師が多数であったため1999年までは経過期間とされ、要件どおりの制度運用が開始されたのは2000年以降である。この制度により、稲葉幸夫、二本柳俊夫、大久保房松といったベテラン調教師が引退した。

メリットシステム
中央競馬において、2004年度より、調教師の厩舎経営状況・調教技術により、厩舎の管理馬房数が増減する制度(メリットシステム)が導入された。競馬界にも優勝劣敗の法則を導入するべきであるとの声に応えての取り組みである。

具体的には、経営状況・調教技術の評価が下位である10厩舎の馬房が2ずつ削減され、その20馬房が上位の調教師に分配される(実際には2004年は下位5厩舎、2005年は下位8厩舎、2006年は下位12厩舎の馬房が削減された。)。同一の調教師が2年連続で削減の対象となることはない(しかし、逆に言えば2年後もまたワースト10ならば再削減を食らうということでもある)。


調教師関連キーワード
競馬の調教師一覧
厩舎
タグ:調教師
posted by 競馬の錬金術師 at 19:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

投票券とは

投票券とは

各競技における競走対象の着順を予想して投票(購入)し、結果に即し配当を得るための券です。

投票券の正式名称および略称
各競技ごとの投票券には、以下のような正式名称および通称(略称)があります。

競技 正式名称                通称
競馬 勝馬投票券(かちうまとうひょうけん) 馬券(ばけん)
競輪 勝者投票券(しょうしゃとうひょうけん) 車券(しゃけん)※
競艇 勝舟投票券(かちふねとうひょうけん) 舟券(ふなけん)
オートレース 勝車投票券(かちぐるまとうひょうけん) 車券(しゃけん)

※勝者投票券の略称は自転車競技法第1条により「車券」と定義されている。

なお、勝馬投票券については旧競馬法施行以来の正式名称であり、それまでは現在勝馬投票を指す俗語である「馬券」が正式名称(俗語は「賭け札」)であった。

投票券の発売形式
日本の公営競技における投票券はパリミュチュエル方式によって行われている。

投票券の発売単位
各投票券の発売単位の最低は100円単位である。これは「発売額面は1枚分が10円の投票券を10枚束ねたものを代表として発売する」という各根拠法の部分に依拠する(ちなみに各競技場で発券された券面にも「1枚が10円」か、「表示の1枚は本来の1枚分10円を10枚束ねた100円相当」である旨記載されているのもこれが根拠である)。

現在のような自動発券機によるマルチ投票券の発売が行われる前には,1枚100円の投票券が発売されていた。また,「特券(とっけん)」(現在でもわずかに聞かれる用語である)と呼ばれる1000円単位の投票券も発売され,それを組み合わせて購入していた(なお、購入の際はそれぞれの買い目ごとに窓口が設定されていて、購入者はいくつも窓口を渡り歩いて購入していた。当時は枠連での発売だったので可能だった)。

なお、配当金額が100倍を超える投票券は、10枚(1票)100円を購入しただけで1万円以上の配当が得られるため、それらの馬券・車券・舟券は俗に、万馬券(まんばけん)・万車券(まんしゃけん)・万舟(まんしゅう)とそれぞれ呼ばれる。

投票券の発売単位の例外
一部の発売場所(場内・場外問わず)では発売単位が500円や1000円などとなっている場合もある。これは、客の動線上便利なところにあり、必然的に混雑が見込まれる場所や、場外売場において面積が狭いという理由で来客を絞りたい場合(JRAの場外馬券売場であるウインズ銀座通りが代表例)や、入ってすぐのフロアの混雑を避けるため(同じく多くのウインズでは100円単位の発売を行っていると利用者向けに告知している場外であっても、1階は500円単位、2階以上に行けば100円単位という発売形式を取っている)という理由が大半を占める。また、日本の中央競馬の主要レース開催日(クラシック競走や天皇賞(春・秋)、有馬記念など)は一部のウインズによっては発売単位を切り上げたり、あるいは発売レース数を制限(後半6レースなど)する事例もある。

投票券の払戻

的中した投票券の配当は、パリミュチュエル方式によって決定される。

投票券の控除率
各競技の控除率は、競輪・競艇・オートレースが25%、競馬が18〜26.2%(支持率によって変動、概ね25%程度。中央競馬の単勝・複勝は20数%)。後述の「特払い」を除く。

投票券の特払
勝利した競走対象に対する投票が全くない場合には、前述の控除率によって差し引かれた額が返還される。これは「特払(とくばらい)」と呼ばれる。ただし、最低発売単位(10円)に対して1円未満は切り捨てられるので、実際には購入した投票券100円につき70円の払戻しとなる(つまり70%返還される)。このため払戻金が確定するまでは絶対に投票券を捨てないように注意すること。

投票券の払戻の手続き当該レース確定後より60日間(但し最終締切日が払い戻し休務日と重なる場合は翌日まで)、所定の払い戻し窓口(多くは自動払い戻し機を使用する)で行われる。

なお高額配当(大体は100万円以上)となる場合は通常の払い戻し窓口や自動払い戻し機ではなく「高額払い戻し専用窓口」を利用し、所定の手続き(住所・氏名・年齢などを記録し、状況によっては年齢確認の証明書類提出を求められることもある)を行った上で払い戻しが行われる。 中央競馬においては払戻し金額にかかわらず的中券のみあれば所定の手続き等は一切不要(但し受取人が二十歳未満に見られる場合のみ年齢確認が行われる場合がある)。

投票券の返還(買い戻し)
投票券が、以下の事象に遭遇した場合には、当該競技対象を含んだ券面(記載内容)は、返還となる。

競技が施行されなかった場合
競技が施行されたがレースに勝者がいなかった場合
競技が不成立となった場合
競技において特定の競技対象が出走しなかった場合
(競艇においては)フライング・出遅れによって、正常なスタートが出来なかった競技対象がいた場合
(競馬においては)特定の競技対象が出走しなかったことによって、特定の枠を構成する競技対象が存在しなくなってしまう場合
現在、返還に関しては、当該レース終了後、払戻窓口にて対象となる券面と引き替えに、購入金額と同額を交付している。的中しているわけではないため、この点「払戻」とは根本的に異なるという事に注意したい。また、返還については、施行者が同額の金銭を持って発売した投票券を引き取る、という観点のもとから、「買い戻し」を表現されることもある。

投票券の購入および譲り受けの制限
日本では各根拠法の定めにより、満20歳未満の者は投票券を購入したり譲り受けたりしてはいけない。さらに勝者投票券・勝舟投票券・勝車投票券は満20歳以上であっても学生・生徒の身分がある者は投票券を購入したり譲り受けたりしてはいけない。なお、かつては勝馬投票券も学生・生徒が購入や譲り受けができない規定があったが、競馬法が2005年に改正され、年齢制限のみになった。

また、各競技の関係者もそれぞれの投票券を購入したり譲り受けたりすることが制限されているが、関係者であっても異なる競技の投票券を購入したり譲り受けたりすることに問題はない。ただし、競馬においては中央地方指定交流競走で出走する当日は除く。

競走対象の番号
日本の公営競技における各競走対象には、全て1から始まる番号が付与されており、投票はこの番号によって行われる。



日本の競馬・競輪では、複数の競走対象を集めてグループを作り、そのグループを1つの競走対象とみなしそれらについての投票券を発売することもある。このグループを「枠」(わく)と言う。


グループ分け方法
各競技における枠のグループ分け方法は、以下のようにして行われる。

競馬
競馬は出場馬が9頭以上の場合に枠によるグループ分けが行われ、枠の数は常に8である(8枠制※)。グループ分け方法は以下の通りである。

出場馬が9頭以上15頭以下の場合、末尾の番号から順に2頭をまとめて1つの枠にし、途中の番号からは1頭を1つの枠にする(出場馬の頭数をnとしたとき、1枠から16-n枠までは1頭が割り当てられ、17-n枠から8枠までは2頭が割り当てられる)。
例:第47回宝塚記念(2006年6月25日・京都)は13頭立てのため、上記手法からn=13を代入して16-n=3、17-n=4となることから、1〜3枠は1頭ずつ、4〜8枠は2頭ずつとなる。

出場馬が16頭の場合、1番から順に2頭をまとめて1つの枠にする。
出場馬が17頭または18頭の場合、末尾の番号から順に3頭をまとめて1つの枠にし、途中の番号からは順に2頭をまとめて1つの枠にする(17頭立てなら8枠のみが、18頭立てなら7枠と8枠が3頭ずつとなり、その他の枠は2頭ずつとなる)。

※競馬法施行規則第一条の四-7では、枠番号二連勝単式の枠の数は6〜8枠、枠番号二連勝複式は8〜10枠の間で可能だが、両方発売できるのは8枠制しかないので現在は8枠制以外を採用している主催者はない。

競輪
競輪は出場選手が7人以上の場合に枠によるグループ分けが行われ、枠の数は常に6である(6枠制)。グループ分け方法は以下の通りである。

出場選手が9人の場合、1番が1枠、2番が2枠、3番が3枠、4番・5番が4枠、6番・7番が5枠、8番・9番が6枠となる。
出場選手が8人の場合、1番が1枠、2番が2枠、3番が3枠、4番が4枠、5番・6番が5枠、7番・8番が6枠となる。
出場選手が7人の場合、1番が1枠、2番が2枠、3番が3枠、4番が4枠、5番が5枠、6番・7番が6枠となる。

正式名称および通称
各競技ごとの競走対象および枠に付与される番号には、以下のような正式名称および通称(略称)がある。

対象 正式名称 通称
競馬 馬番号(うまばんごう) 馬番(うまばん)
競輪 選手番号(せんしゅばんごう) 車番(しゃばん)
競艇 ボート番号(ぼーとばんごう)※ 艇番(ていばん)、枠番(わくばん)※※
オートレース 車番号(しゃばんごう) 車番(しゃばん)
枠 枠番号(わくばんごう) 枠番(わくばん)

※モーターボート競走法施行規則別表第1にて、競走対象の正式名称として「ボート番号」と定義されている。しかし、単にボート番号と言えば、各競艇場で備え付けるすべてのボートへ一意に付与した番号の通称である。

※※モーターボート競走法施行規則第5条第7項および別表第1では、「枠番」と同等の意味を持つ文言として「連勝式番号」が定義されている。しかし、競艇の現行競技ルールでは、この「連勝式番号」が「舟番」に完全一致することから、慣例的に「枠番」と呼ばれることが多い。

色別
公営競技では、観客が遠方からでも競走対象が識別しやすいように、枠番または車番ごとに色を決めており、決められた色のヘルメットカバーやユニフォームを着用させている。用いられる色の番号や部位は以下の通り。

色と番号(枠番色・車番色とも共通)

1 2 3 4 5 6 7 8 9
白 黒 赤 青 黄 緑 橙 桃 紫

競馬 - ヘルメットに枠番色1〜8(馬番はゼッケン)ただし中央競馬の場合同じ枠に同じ馬主の馬が出走する場合は(勝負服が重なるので)片方の帽子(馬番の大きい方)は2色の「染め分け帽」が使われる。地方競馬は騎手ごとに勝負服が異なり、勝負服の重複が(中央地方交流競走を除いて)ないことや帽子に馬番を表記するため染め分け帽はない。
競輪 - ヘルメットとユニフォームに車番色1〜9(枠番色は用いていない)
競艇 - ユニフォームと艇旗に枠番色1〜6
オートレース - ユニフォームと車体前部のゼッケンに車番色1〜8
競輪とオートレースは6枠制の時代から一部の番号で2色の組み合わせが用いられていたが、近年は競馬で用いられている枠番色にならって変更され、現在ではすべての公営競技で番号と色が統一されている。(なお9番の紫は2002年4月から競輪が初めて用いた)


投票法の種類
各投票券の投票法(投票法)の種類には、大別して以下の5種類がある。

単勝式
複勝式
連勝単式
連勝複式
重勝式(※現在日本では発売されていない(競馬法では定義されている)。)
枠を対象とした投票法は、上記の内では連勝単式および連勝複式のみである。

重勝式以外の投票法でも、競技や競技場によっては発売レース数に制限がある場合や一部の投票法が発売されていない場合もあるので、それぞれの競技や競技場のページを参照にすること。

単勝式
単勝式(たんしょうしき)とは、1着になる競走対象を予想する投票法である。

複勝式
複勝式(ふくしょうしき)とは、全競走対象数が5つ以上7つ以下の場合は2着以内に入る競走対象1つを、全競走対象数が8つ以上の場合は3着以内に入る競走対象1つを予想する投票法である。つまり全競走対象数が7つ以下の場合は予想した競走対象が1着・2着のいずれかであれば、全競走対象数が8つ以上の場合は予想した競走対象が1着・2着・3着のいずれかであれば的中となる。

なお出走表確定の段階で競走対象数が8つ以上であった競走の投票券発売が開始された後において、出走取消・競走除外・欠車・欠場となる競走対象が生じ、最終的に当該競走に出場した競走対象数が7つ以下となった場合であっても、複勝式の的中条件に変更は生じず、3着以内のうち1競走対象を当てれば的中となる。また同様の過程で、競走対象数が5つ以上7つ以下となる予定だった競走の最終的な出場対象が4つ以下となった場合も、2着以内のうち1競走対象を当てれば的中となる。

「応援馬券」JRAでは2006年10月7日から単勝式と複勝式をセットで発売する「応援馬券」というシステムを取り入れた。これは、マークカードに新設する「単+複」の欄にマークシートすることで、その出走馬の馬番馬券を同時購入できるというものである。但し、単勝式と複勝式を同時購入するため、購入は1口につき200円(単勝・複勝それぞれ100円ずつ)単位となる。

元々このような馬券は海外においては「Eachway(イーチウェイ)」の名称で古くから発売されており、「応援馬券」はその仕組みを日本に導入したものである。
投票券は1頭の出走馬につき1枚ずつの馬券が発行されるので、その際投票券の馬名の上に「がんばれ!!」という文字が印刷される。例えばディープインパクトのそれを購入した場合は「がんばれ!!ディープインパクト」という形になる。

9月に札幌競馬場とウィンズ札幌、米子で先行試験発売を行い、10月から全国展開による本発売が開始となった。

連勝単式
連勝単式(れんしょうたんしき)とは、上位着順を占める複数の競走対象の組み合わせを、それらの着順通りに予想する投票法である。 連勝単式には対象となる競走対象の数により以下の2つに分類される。

二連勝単式
二連勝単式(にれんしょうたんしき)とは、1着・2着になる競走対象の組み合わせ2つを、それらの着順通りに予想する投票法である。例えば1着が13番、2着が9番の場合・二連勝複式は9−13でOKだがこの二連単の場合はこの通り(13−9)に当てないといけない。
三連勝単式
三連勝単式(さんれんしょうたんしき)とは、1着・2着・3着になる競走対象の組み合わせ3つを、それらの着順通りに予想する投票法である。例えば1着が18番、2着が9番、3着が10番の場合・三連勝複式は9−10−18でOKだがこの三連単の場合はこの通り(18−9−10)に当てないといけない。

連勝複式
連勝複式(れんしょうふくしき)とは、上位着順を占める複数の競走対象の組み合わせを、それらの着順に依らず順不同で予想する投票法である。 連勝複式には対象となる競走対象の数や選ぶ組み合わせの数により以下の3つに分類される。

普通二連勝複式

普通二連勝複式(ふつうにれんしょうふくしき)とは、1着・2着になる競走対象の組み合わせ2つを、それらの着順に依らず順不同で予想する投票法である。例えば1着が18番、2着が5番の場合には馬単はこの通り(18−5)に当てないといけないがこの場合は5−18でOKとなる。

拡大二連勝複式
拡大二連勝複式(かくだいにれんしょうふくしき)とは、3着以内に入る競走対象の組み合わせのうち2つを、それらの着順に依らず順不同で予想する投票法である。つまり予想した組み合わせが1着・2着、1着・3着、2着・3着のいずれかであれば的中となる。例えば1着が7番、2着が18番、3着が10番の場合には7−18と7−10そして10−18の3つの馬券が当たりと成る。

三連勝複式
三連勝複式(さんれんしょうふくしき)とは、1着・2着・3着になる競走対象の組み合わせ3つを、それらの着順に依らず順不同で予想する投票法である。例えば1着が13番、2着が1番、3着が8番の場合には三連単はこの通り(13−1−8)に当てないといけないがこの三連複では1−8−13が的中となる。

重勝式
重勝式(じゅうしょうしき)とは、複数レースにおける単勝式・複勝式・連勝単式・連勝複式のいずれか1つの投票法をまとめて予想する投票法である。

根拠法の関係上、競馬のみこの投票法は発売可能である。しかし、現在の日本国内では重勝式馬券の発売を行っている競馬場は存在しない。

かつて国営競馬とその後身である中央競馬では、3個レースの単勝を全て的中させる「三重勝馬券」を、午前中のレースを対象に発売していた時期があった。1954年10月30日には中山競馬場で507,940円という当時としては驚異的な配当の記録が出ている(的中1票)。この配当金額は馬番号連勝単式が導入されるまで、中央競馬では不滅の大金字塔であった。中央競馬での発売は1961年(昭和36年)2月に中止。

現在では主に競馬マスコミなどでの懸賞クイズやイベントなどとして、この形の予想が行われる事がある。


投票法の通称
競走対象の番号が対象の場合
競走対象の番号を対象として発売されている各投票法には、以下のような通称(略称)および英語表記がある。

投票法 通称 英語表記
単勝式 単勝(たんしょう) WIN
複勝式 複勝(ふくしょう) PLACE(2着まで)
SHOW(3着まで)
二連勝単式 二連勝単式(競艇) 二連単(にれんたん) EXACTA
車番号二連勝単式(オートレース)
馬番号二連勝単式(競馬) 馬単(うまたん)
選手番号二連勝単式(競輪) 二車単(にしゃたん)
三連勝単式 馬番号三連勝単式(競馬) 三連単(さんれんたん) TRIFECTA
選手番号三連勝単式(競輪)
三連勝単式(競艇)
車番号三連勝単式(オートレース)
普通二連勝複式 普通二連勝複式(競艇) 二連複(にれんぷく) QUINELLA
普通車番号二連勝複式(オートレース)
普通馬番号二連勝複式(競馬) 馬連(うまれん)(中央競馬)
普通馬複(ふつううまふく)(地方競馬)
普通選手番号二連勝複式(競輪) 二車複(にしゃふく)
拡大二連勝複式 拡大二連勝複式(競艇) 拡連複(かくれんぷく) QUINELLA-PLACE
拡大馬番号二連勝複式(競馬) ワイド※
拡大選手番号二連勝複式(競輪)
拡大枠番号二連勝複式(オートレース)
三連勝複式 馬番号三連勝複式(競馬) 三連複(さんれんぷく) TRIO
選手番号三連勝複式(競輪)
三連勝複式(競艇)
枠番号三連勝複式(オートレース)

※拡大二連勝複式の通称では競艇のみ「ワイド」を用いていない。これは投票券における「ワイド」が日本中央競馬会および特別区競馬組合(大井競馬の主催者)が共同で出願した登録商標であり、競輪・オートレース・大井競馬場以外の地方競馬は二者から許諾を得ているので使用できるが、競艇のみ許諾を得ておらず使用できないためである。

枠の番号が対象の場合
枠を対象として発売されている各投票法には、以下のような通称(略称)および英語表記がある。

投票法 通称 英語表記
二連勝単式 枠番号二連勝単式 枠単(わくたん)(地方競馬) BRACKET-EXACTA
二枠単(にわくたん)(競輪)
普通二連勝複式 枠番号二連勝複式 枠連(わくれん)(中央競馬) BRACKET-QUINELLA
枠複(わくふく)(地方競馬)
二枠複(にわくふく)(競輪)
[編集]
最高配当額
最高配当額は以下の通りである。

対象 年月日 場所 投票法 金額
中央競馬 2005年10月22日 東京競馬場 三連単 1846万9120円
地方競馬 2005年5月13日 大井競馬場 三連単 1300万390円
競輪 2006年9月21日 奈良競輪場 三連単 476万0700円
競艇 2003年12月10日 若松競艇場 三連単 53万7990円
オートレース 2006年5月23日 伊勢崎オートレース場 三連単 1572万1720円

投票券の販売方法
創始期〜
公営競技の投票券は、普通に紙に印刷された券から始まった。これは、例えば「単勝1番」であれば、それが印刷された券を求めなければならない。窓口にはそれぞれどの「組」を発売しているかが表示され、複数の組を購入したい者は、発売時間中に窓口を多数移動しなければ購入することが出来なかった。1枚100円だが、1枚1000円(10枚・法的には100枚分)を発売する窓口もあり、これを「特券」(とっけん)と呼んだ。今でも1000円単位で購入する投票券のことを「特券」と呼ぶファンがいるが、基本的にはこれの名残である。競技場によっては、発売状況に応じて窓口の数を変更するなど柔軟な対応を行う場もあったと言われている。必然的に的中確率が高いと思われた組の窓口には人が群がる(並ぶ)ため、現在コンピューターシステムによって投票券が発券される時代においても、一番売れている(つまりオッズが低い)出目が「一番人気」と呼ばれるのも、このような事象に由来していると思われる。

電算化とシングルユニット券
その後、コンピューターシステム(トータリゼータ)の導入に伴い、金額は一律だが、目を口頭で自由に申し込むことが出来るようになる「シングルユニット券」が登場する。1枚の券に組合せ(目)一つと金額が記載された物が印刷され、係員から現金を払って受け取る、現在に近い形の仕組みができあがっていった。なお、金額は一律のため、たとえば900円求めようとすると、100円券を9枚渡されることとなる。

マルチユニット券の登場 そして時代は進み、ついに「1枚の券の中に、複数の組合せと任意の金額を記録して」投票券を購入できるようになる。これが「マルチユニット券」である。現在、日本の公営競技においては、全ての開催場・場外売り場において、マルチユニット券による発売が行われている。当然のことながら、購入の利便性は格段に高まり、窓口の混雑緩和にも役立った。

マークカード方式 JRAが馬番号連勝複式を導入するのと同時期に、投票内容を規定された紙の上に印をつけて投票申しこみを行う「マークカード方式」を始めた。これは口頭による誤発券が少ないことや、発券までのさらなる時間短縮などのメリットが大きいことから、各種公営競技にも伝播していくこととなった。また、マークカード方式は、機械で印を読み込むことから、自動発売機の普及(これは主催者のコスト削減にも一役買う)にも繋がることとなる。

更なる進化
2006年7月6日より、桐生競艇場において、公営競技史上初めて、携帯電話を使った場内移動型投票システム(同月10日に「ムーヴ@ウィン」なる愛称が制定、同年9月9日より本格導入)が導入された。これは同競艇場開催日当日に、訪れたファンが場内で登録することで、当日の全競走を手元の携帯電話から投票できるシステムである。本場締め切りと同時刻まで投票できるほか、従前のマークカード方式(及びそれ以前の方式)と異なり順番待ちを強いられることも無く、投票券購入に当たって、さらなる利便性の向上が期待される。
現在、日本の公営競技においては、ほぼ全場でマークカード方式を導入しており、口頭で購入することが出来る窓口はごく一部に限られるか、一部施設においては全く存在しないということもある。

様々な投票方法マークカード方式が一般化した現在においても、通常は1点1点販売することが原則であるが、点数が多くなる種類の投票券が販売されるようになり、購買者も1度に購入する点数が膨大になってきているため、多くの点数を一度に簡単に販売できる方法を導入することによって、この点を解消している。いずれの方法も同じ種類の投票券を均一金額で購入することを想定しているため、金額を変えて購入する場合には従来どおり、1点1点購入しなければならない。

また、各種投票方法に応じたマークカードが用意されていることが普通であり、通常の投票に用いる用紙と混同しないよう、各主催者においてはカードの長さを変更したり、印刷色を変更したりなどの配慮を行っている。

流し
単一となる「軸」と、「相手」と呼ばれる番号を数点(もしくは全部)を指定することで、「軸−相手」となる全ての投票券が購入できる方法。軸から相手に向けて上流と下流の関係が出来るため、このように呼ばれる。なお英語では、軸がまさに車輪の軸であり、相手が車輪状になるという意味で、「WHEEL」と表現される。

連勝単式の場合、当然のことながら、軸とした投票対象の着位も指定する必要がある。

3連勝式の場合には、軸を1点選ぶ方法と軸を2点選ぶ方法がある。この場合、軸を1点選ぶ方法においては、相手として選択した投票対象から任意の2者が出れば的中となるため、下記にある「ボックス」の要素をも含んだ内容になっている。

ボックス

番号を数点指定することで、その塗った番号が関係する全ての投票券を購入できる方法。

枠番連勝式におけるボックスでは、4-4や7-7などのいわゆる「ぞろ目」が含まれるか否かは、各主催者、発売媒体、申しこみ内容によって異なる場合があるため、事前に確認する方が賢明である。

購入点数は組み合わせの数が関係する為、マークの数に比べて購入点数が膨大になる傾向にある。

また、購入する点数の違いにより、「三角買い」「四角買い」「五角買い」などと表現されることもある。

フォーメーション
式別を選択し、各着位に該当すると思われる対象番号を指定することにより、その着位ごとに指定された対象番号の組合せ全てを購入することが出来る方法。当然のことながら、同一着位内での選択に対する組合せや、存在し得ない組合せはコンピューター上で自動的に除かれる。

例:馬番号(選手番号)三連勝単式において、1着1,2,3 2着2,5,7 3着1,5,9を指定した三連勝単式をフォーメーションで購入申しこみすると、以下の組合せを購入したこととなる。

1-2-5 1-2-9 1-5-9 1-7-5 1-7-9 2-5-1 2-5-9 2-7-1 2-7-5 2-7-9 3-2-1 3-2-5 3-2-9 3-5-1 3-5-9 3-7-1 3-7-5 3-7-9(18点)

なお、「フォーメーション」は、「ワイド」と同様に日本中央競馬会の登録商標である。

歴史
公営競技の創成期には、各競技の連勝単式および連勝複式の投票券は全て6枠制(後に競馬は8枠制)で発売されていた。現在においても競馬・競輪で枠による投票券が発売されているのはこの名残である。連勝単式および連勝複式の投票券の組み合わせ総数を制限することで、過度に高い配当を出にくくし射幸心を抑えるという効果があったためである。

ただし枠による発売の場合、競走対象が病気・怪我などにより出走取消や競走除外になった場合にその競走対象と同枠の競走対象がいる場合は買戻しが行われないなど、度々非難の的となった。このため、中央競馬では人気が集中するとあらかじめ分かっている馬を単枠指定にする制度で、地方競馬・競輪・オートレースでは出走取消・競走除外となった競走対象と同枠の競走対象もあわせて出走取消・競走除外とする(これを「友引除外(ともびきじょがい)」と呼ぶ)制度により回避していたため、投票券の購入者だけではなく、調教師・馬主からも批判が多々あった。

オートレースも過去は連勝単式および連勝複式については6枠制で発売されていた(出場車が8車の場合、5番・6番が5枠、7番・8番が6枠)が、1998年をもって廃止された。

中央競馬では2005年現在三連単を発売するのは後半4レースのみ、また8頭以下の出走頭数の場合は枠連を発売しない。

タグ:投票券
posted by 競馬の錬金術師 at 18:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

丹下 日出夫とは

丹下 日出夫とは

ホースニュース・馬の編集者であり、関東版中央本紙担当。ペーパーオーナーゲーム向けの執筆活動を盛んに行っており、複数の競馬雑誌で連載をもち、ペーパーオーナーゲーム用の解説本の執筆編集を行っている。

中央競馬ワイド中継(独立UHF放送局)の「丹下日出夫の今日の丹券」に出演している。

posted by 競馬の錬金術師 at 09:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

高本 公夫とは

高本 公夫(1939年 - 1994年)とは

競馬評論家、作家。色丹島出身。明治大学文学部卒業。

主に中央競馬の馬券予想に関する本を著作した作家。いわゆる暗号馬券理論(サイン理論)の事実上の元祖として知られており、そのため競馬業界ではそのような予想のことを「タカモト式」(あるいは単に「タカモト」)と呼ぶほどである。推理小説の執筆や競馬劇画の原作もしていた。

ちなみに息子の高本達矢も競馬評論家であり、父の後を継いで馬券本を数多く著している。

タグ:高本 公夫
posted by 競馬の錬金術師 at 09:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

武豊

武豊とは

武 豊(たけ ゆたか、1969年3月15日 - )は日本中央競馬会を代表する騎手です。栗東所属で現在はフリー。血液型O、滋賀県出身。数々の歴史に残る記録を持っています。
「天才」と呼ばれることも多いですネ。
父、武邦彦は「名人」の異名で知られる元騎手で現在調教師です。
弟、武幸四郎も騎手です。
武豊の妻は元アイドルの佐野量子です。
身長は170cm。体重51kg。

武豊のプロフィール
1988年に菊花賞で優勝したのを皮切りに、19年連続で、つまりデビュー初年度(1987年)を除く全ての年でGI競走を制覇している。
デビュー以来「競馬の祭典」と言われる東京優駿(日本ダービー)に勝つことができず、競馬界の七不思議の一つと言われたが、10年目の1998年にスペシャルウィークで初勝利した。
同時に史上2人目の八大競走完全制覇を達成した。
翌年(1999年)もアドマイヤベガで制し、史上初のダービー連覇を達成した。
2005年までにタニノギムレットとディープインパクトで勝利し、通算4勝は中央競馬最多です(従前の東京優駿(日本ダービー)2勝ジョッキーは多数いた)

また、デビューした1987年と1991年、並びにフランスへ長期海外遠征を行った2001年を除き毎年コンスタントに年間100勝以上のペースで勝ち続け、2003年から年間200勝を3年連続で記録した。

2002年2月24日の中山競馬第3競走で落馬し、骨盤を骨折して全治3ヶ月〜6ヶ月といわれた重傷を負ったが、わずか2ヵ月後の4月20日に復帰。その回復力は関係者やファンを驚かせた。それから1ヶ月後の5月26日には、この年の東京優駿(日本ダービー)をタニノギムレットで制して史上初の東京優駿(日本ダービー)3勝目を飾っている。

2006年6月25日現在で、JRAGI競走通算55勝。50勝目はディープインパクトが無敗でクラシック三冠を達成した2005年の菊花賞である。他に、地方交流GI競走を13勝、海外GI競走を6勝(いずれも2006年5月7日現在)。未勝利の国内平地GIは、ヴィクトリアマイル(2006年に新設)、マイルチャンピオンシップ、朝日杯フューチュリティステークス(以上JRA主催分)、かしわ記念(2005年より統一GI昇格、船橋競馬場で開催)の4競走のみである。ただし、かしわ記念については統一GIII時代の1997年にバトルラインで優勝している。

武豊の成績

記録年表
1987年、栗東・武田作十郎厩舎所属でデビュー(同期に蛯名正義、塩村克己ら)。加賀武見(現調教師)の持っていた新人記録の58勝を上回る69勝を挙げた。また、この年にトウカイローマンでジャパンカップに出走。武は「デビューの年にジャパンカップに騎乗できるなんて、そうそうない」と満足だったようだ。

1988年、史上最速・最年少(19歳1ヶ月)でJRA通算100勝達成。菊花賞でスーパークリークに騎乗し初GI勝利にして史上最年少(19歳8ヶ月)でクラシック制覇。

1989年、史上最速・最年少(19歳11ヶ月)でJRA通算200勝達成、史上最速・最年少(20歳8ヶ月)でJRA通算300勝達成。
1990年、史上最速・最年少(21歳5ヶ月)でJRA通算400勝達成。
1991年、史上最速・最年少(22歳4ヶ月)でJRA通算500勝達成。
1992年、武田作十郎調教師の定年による厩舎解散に伴い、フリー転向。天皇賞(春)でメジロマックイーンに騎乗し、史上初の同一競走4連覇を達成。史上最速・最年少(23歳9ヶ月)でJRA通算600勝達成。
1993年、史上最速・最年少(24歳1ヶ月)でJRA通算700勝達成。桜花賞(ベガ)・皐月賞(ナリタタイシン)・優駿牝馬(ベガ)と春のクラシックを3連覇。

1994年、史上最速・最年少(24歳10ヶ月)でJRA通算800勝達成。フランス・ロンシャン競馬場のムーラン・ド・ロンシャン賞でスキーパラダイスに騎乗し、JRA所属の騎手としては初めての海外G1勝利。史上最速・最年少(25歳5ヶ月)でJRA通算900勝達成。

1995年、史上最速・最年少(26歳4ヶ月)でJRA通算1000勝を父、武邦彦管理馬のエールノコイビトで達成。
1996年、史上最速・最年少(27歳1ヶ月)でJRA通算1100勝達成。史上最速・最年少(27歳7ヶ月)でJRA通算1200勝達成。
1997年、史上最速・最年少(28歳3ヶ月)でJRA通算1300勝達成。北九州記念でダンディコマンドに騎乗、史上最速・最年少(28歳4ヶ月)でJRA重賞通算100勝達成。函館3歳ステークスでアグネスワールドに騎乗、史上2人目の中央競馬全10場重賞制覇達成。

1998年、史上最速・最年少(28歳10ヶ月)でJRA通算1400勝達成。東京優駿(日本ダービー)でスペシャルウィークに騎乗、東京優駿(日本ダービー)初制覇を果たすとともに保田隆芳以来30年ぶり史上2人目となる八大競走完全制覇達成。フランス・ドーヴィル競馬場のモーリス・ド・ギース賞でシーキングザパールに騎乗し、日本調教馬初の海外G1制覇に導く。史上最速・最年少(29歳5ヶ月)でJRA通算1500勝達成。

1999年、史上最速・最年少(30歳1ヶ月)でJRA通算1600勝達成。東京優駿(日本ダービー)でアドマイヤベガに騎乗、史上初となる日本ダービー連覇達成。史上最速・最年少(30歳7ヶ月)でJRA通算1700勝達成。
2000年、史上最速・最年少(31歳1ヶ月)でJRA通算1800勝達成。
2001年、史上最速・最年少(32歳7ヶ月)でJRA通算1900勝達成。
2002年、東京優駿(日本ダービー)でタニノギムレットに騎乗、史上初となる東京優駿(日本ダービー)3勝目。史上最速・最年少(33歳6ヶ月)でのJRA通算2000勝達成。12月7日、阪神競馬場にてJRA新記録、世界タイ・レコードとなる1日8勝を記録。

2003年、エリザベス女王杯でアドマイヤグルーヴに騎乗、史上初となる同レース3連覇達成。年間通じて、JRA・地方における全GIに騎乗。史上最速・最年少(33歳11ヶ月)でJRA通算2100勝を達成。史上最速・最年少(34歳5ヶ月)でJRA通算2200勝を達成。JRA史上初の年間200勝達成(最終的には204勝)。

2004年、史上最速・最年少(34歳10ヶ月)でJRA通算2300勝を達成。史上最速・最年少(35歳5ヶ月)でJRA通算2400勝を達成。12月8日海外通算100勝を達成。12月12日・中山競馬場にて自らが2003年に達成して以来史上2回目、かつ中央競馬史上初の2年連続で年間200勝を達成。2003年に自ら記録した204勝の年間最多勝利記録を更新する211勝として、一年を終えた。

2005年、史上最速・最年少(35歳10ヶ月)で岡部幸雄以来中央競馬史上2人目となるJRA通算2500勝を達成。2月26日、アーリントンカップにビッグプラネットで優勝し、中央競馬史上初の重賞競走通算200勝を達成。3月27日、中京競馬場で行われた高松宮記念にアドマイヤマックスで勝利し、JRAのGI競走が行われた全ての競馬場でGI勝利。

5月29日、東京優駿(日本ダービー)でディープインパクトに騎乗、史上初で自らの記録を更新する東京優駿(日本ダービー)4勝を達成。また同レースの勝利により、年間100勝最速記録を更新。JRA2600勝を史上最速・最年少(36歳4ヶ月)で達成。9月4日、小倉2歳ステークスをアルーリングボイスで優勝。史上初の同一年小倉開催平地重賞完全制覇達成。9月17日から9月24日にかけて、騎乗機会連続7連勝達成(24日第9競走)。

また9月24日には、1日の騎乗機会6連勝のJRA新記録を達成。10月23日、ディープインパクトの三冠(史上2頭目の無敗三冠)達成で自身も初の同一馬による三冠ジョッキーとなると同時にGI通算の50勝も達成。11月26日、ジャパンカップダートにカネヒキリに騎乗して優勝。JRAのGI年間6勝の新記録達成。また前人未到の3年連続年間200勝。12月18日、阪神牝馬ステークスにアドマイヤグルーヴに騎乗して優勝し、年間重賞勝利23勝とし、自らの記録を上回る新記録を樹立。年間勝利数を212とし、2004年の自らの最多勝記録を更新。

2006年、1月8日の京都競馬場第9競走にてJRA2700勝を史上最速・最年少(36歳10ヶ月)で達成。7月23日の小倉競馬場第12競走にてJRA2800勝を史上最速・最年少(37歳4ヶ月)で達成。


武豊の成績表
年 勝利数・連対率 表彰歴
1987年 69勝 (.238) JRA賞(最多勝利新人騎手)
1988年 113勝 (.306) 史上最年少関西リーディングジョッキー
1989年 133勝 (.340) JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1990年 116勝 (.324) JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1991年 96勝 (.291) 優秀騎手賞
1992年 130勝 (.345) JRA賞(最多勝利騎手)
1993年 137勝 (.392) JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)・フェアプレー賞
1994年 134勝 (.388) JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手)
1995年 134勝 (.343) JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1996年 159勝 (.340) JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)
1997年 168勝 (.371) JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)・フェアプレー賞
1998年 169勝 (.366) JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
1999年 178勝 (.396) JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)・フェアプレー賞
2000年 130勝 (.362) JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2001年 65勝 (.315) ※海外遠征により騎乗数激減
2002年 133勝 (.435) JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)・フェアプレー賞
2003年 204勝 (.384) JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2004年 211勝 (.372) JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)
2005年 212勝 (.398) JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)


武豊のGI競走勝利一覧

1988年
菊花賞(スーパークリーク)
1989年
桜花賞(シャダイカグラ)
天皇賞(春)(イナリワン)
宝塚記念(イナリワン)
天皇賞(秋)(スーパークリーク)
1990年
天皇賞(春)(スーパークリーク)
安田記念(オグリキャップ)
スプリンターズステークス(バンブーメモリー)
有馬記念(オグリキャップ)
1991年
天皇賞(春)(メジロマックイーン)
1992年
天皇賞(春)(メジロマックイーン)
1993年
桜花賞(ベガ)
皐月賞(ナリタタイシン)
優駿牝馬(ベガ)
宝塚記念(メジロマックイーン)
1994年
桜花賞(オグリローマン)
ムーラン・ド・ロンシャン賞(スキーパラダイス)
阪神3歳牝馬ステークス(ヤマニンパラダイス)
1995年
安田記念(ハートレイク)
優駿牝馬(ダンスパートナー)
1996年
優駿牝馬(エアグルーヴ)
菊花賞(ダンスインザダーク)
1997年
NHKマイルカップ(シーキングザパール)
宝塚記念(マーベラスサンデー)
天皇賞(秋)(エアグルーヴ)
1998年
桜花賞(ファレノプシス)
東京優駿(スペシャルウィーク)
秋華賞(ファレノプシス)
モーリス・ド・ギース賞(シーキングザパール)
1999年
天皇賞(春・秋)(スペシャルウィーク)
東京優駿(アドマイヤベガ)
アベイユ・ド・ロンシャン賞(アグネスワールド)
マイルチャンピオンシップ南部杯(ニホンピロジュピタ)
ジャパンカップ(スペシャルウィーク)
2000年
皐月賞(エアシャカール)
ジュライカップ(アグネスワールド)
菊花賞(エアシャカール)
2001年
NHKマイルカップ(クロフネ)
アベイユ・ド・ロンシャン賞(インペリアルビューティ)
エリザベス女王杯(トゥザヴィクトリー)
ジャパンカップダート(クロフネ)
香港ヴァーズ(ステイゴールド)
2002年
東京優駿(タニノギムレット)
ジャパンダートダービー(ゴールドアリュール)
スプリンターズステークス(ビリーヴ)
秋華賞(ファインモーション)
エリザベス女王杯(ファインモーション)
ダービーグランプリ(ゴールドアリュール)
東京大賞典(ゴールドアリュール)
2003年
フェブラリーステークス(ゴールドアリュール)
ジャパンダートダービー(ビッグウルフ)
エリザベス女王杯(アドマイヤグルーヴ)
全日本2歳優駿(アドマイヤホープ)
東京大賞典(スターキングマン)
2004年
桜花賞(ダンスインザムード)
JBCスプリント(マイネルセレクト)
エリザベス女王杯(アドマイヤグルーヴ)
ジャパンカップダート(タイムパラドックス)
2005年
川崎記念(タイムパラドックス)
高松宮記念(アドマイヤマックス)
皐月賞(ディープインパクト)
東京優駿(ディープインパクト)
ジャパンダートダービー(カネヒキリ)
帝王賞(タイムパラドックス)
秋華賞(エアメサイア)
菊花賞(ディープインパクト)
ダービーグランプリ(カネヒキリ)
JBCクラシック(タイムパラドックス)
ジャパンカップダート(カネヒキリ)
2006年
フェブラリーステークス(カネヒキリ)
天皇賞(春)(ディープインパクト)
NHKマイルカップ(ロジック)
宝塚記念(ディープインパクト)


武豊の騎乗馬

スーパークリーク(菊花賞、天皇賞(春・秋))
初GI勝利馬。
シャダイカグラ(桜花賞)
桜花賞では不利だとされる大外枠から出遅れて結果的に内を確保して勝利。『内に入るためわざと出遅れた』という逸話が広まった。
バンブーメモリー(スプリンターズステークス、マイルチャンピオンシップ2着2回)
1989年マイルチャンピオンシップでのオグリキャップとのハナ差の敗戦が有名。
メジロマックイーン(天皇賞(春)2回、宝塚記念)
天皇賞(春)を勝ってメジロアサマ、メジロティターンに続く親子三代天皇賞制覇の偉業達成。天皇賞(秋)で1位入線したが、他馬への妨害で降着。
ベガ(桜花賞・優駿牝馬)
春の二冠を制覇。皐月賞のナリタタイシンと合わせ春クラシック3連勝達成。
ダンスパートナー(優駿牝馬・エリザベス女王杯)
1995年優駿牝馬に優勝。夏はフランス遠征を敢行した。結果はG3で2着、G1で6着。
エアグルーヴ(優駿牝馬、天皇賞(秋))
1996年優駿牝馬で親子2代での優駿牝馬制覇達成。1997年天皇賞(秋)も優勝し、グレード制導入後初の牝馬による牡馬混合中長距離GI勝利を達成。ジャパンカップで2年連続2着。
ダンスインザダーク(菊花賞)
皐月賞回避、東京優駿(日本ダービー)はフサイチコンコルドに強襲され、惜しくも初の東京優駿(日本ダービー)制覇を逃す。しかし菊花賞では上がり3ハロン33秒8で差しきり優勝。
マーベラスサンデー(宝塚記念)
重賞4連勝など活躍しながらGIになかなか手が届かなかったが、1997年宝塚記念で戴冠。
シーキングザパール(NHKマイルカップ、モーリス・ド・ギース賞)
NHKマイルカップまで重賞4連勝。日本調教馬として初の海外G1制覇。
サイレンススズカ(中山記念、金鯱賞、毎日王冠、小倉大賞典)
5歳時に毎日王冠まで6連勝。ただし、当馬唯一のGI勝利である宝塚記念では武豊はエアグルーヴに騎乗し、鞍上は南井克己。1998年天皇賞(秋)にて故障を発症、予後不良となる。
スペシャルウィーク(東京優駿(日本ダービー)、天皇賞(春・秋)、ジャパンカップ)
この馬で東京優駿(日本ダービー)初優勝。また、武豊のジャパンカップ初制覇をもたらした馬でもある。1999年有馬記念では武豊は「アタマ差は勝った」と感じたらしく、負けたのにウイニングランという珍事が発生。
アドマイヤベガ(東京優駿(日本ダービー))
前年のスペシャルウィークに続いてJRA史上初となる東京優駿(日本ダービー)連覇。
アグネスワールド(アベイユ・ド・ロンシャン賞、ジュライカップ)
フランスのG1、アベイユ・ド・ロンシャン賞、ジュライカップを制覇。日本ではGIを勝てず。
エアシャカール(皐月賞、菊花賞)
菊花賞では内に斜行する癖を掌握して内から伸び、見事に二冠を達成した。
トゥザヴィクトリー(エリザベス女王杯)
2001年、世界最高峰のレースであるドバイワールドカップで、世界の強豪を相手に逃げ粘りキャプテンスティーヴの2着。同年のエリザベス女王杯では後方待機策で接戦で優勝。
クロフネ(NHKマイルカップ、ジャパンカップダート)
フランスから急遽帰国し跨った2001年NHKマイルカップでGI制覇。その後外国産馬で初のダービー参戦を果たすが惜敗。そして天皇賞(秋)で除外の煽りを食らい出走した武蔵野ステークスでは1分33秒3の日本レコードで勝利。ジャパンカップダートでも2分5秒9の日本レコード勝ちをした。
タニノギムレット(東京優駿(日本ダービー))
NHKマイルカップは3着。2002年東京優駿(日本ダービー)で後の年度代表馬シンボリクリスエス以下を差し切り、JRA初の東京優駿(日本ダービー)3勝目。
ゴールドアリュール(フェブラリーステークス、ジャパンダートダービー、ダービーグランプリ、東京大賞典)
ダートで開眼。地方を中心に快進撃を続けた。サンデーサイレンス産駒初のJRAダートGI制覇。JRA最優秀ダートホース。
ファインモーション(秋華賞、エリザベス女王杯)
3歳馬として初めてエリザベス女王杯を無敗で制覇。
ダンスインザムード(桜花賞)
2004年桜花賞優勝で、調教師の藤沢和雄に初のクラシックタイトルをプレゼントした。アメリカンオークス招待ステークスでは2着に敗れた。
アドマイヤグルーヴ(エリザベス女王杯2回)
牝馬三冠競走では相次いで出遅れて3、7、2着も、2003年、2004年のエリザベス女王杯連覇。
ディープインパクト(クラシック三冠、天皇賞(春)、宝塚記念)
デビュー以来無傷の7連勝で、シンボリルドルフ以来の2頭目の無敗のクラシック三冠を達成。有馬記念では2着に敗れ、無敗での4冠達成はならず。2006年天皇賞(春)は3分13秒4のレコードタイムで優勝。続く宝塚記念も優勝し、凱旋門賞へ出走するも3着に終わる。
タイムパラドックス(ジャパンカップダート、川崎記念、帝王賞、JBCクラシック)
2004年JBCクラシックで初騎乗(3着)以降、取りこぼしは多いが、ここ一番のGIでは力の違いを見せ付ける。
カネヒキリ(ジャパンダートダービー、ダービーグランプリ、ジャパンカップダート、フェブラリーステークス)
統一GI連勝の後、ジャパンカップダート、フェブラリーステークスも優勝。ドバイワールドカップに出走し5着(後に2着馬の違反が発覚、失格となり4着と訂正)。
ハルウララ(競走成績113戦0勝)
高知競馬の交流重賞・黒船賞の次のレースに騎乗。結果は大敗するものの、取材陣の多さに「ダービー勝ったときより、今日は取材陣が多いですね」とおどけた。

武豊の名言

「過去の馬とは比べたくありません。すでにこの馬が名馬なのですから。」ディープインパクトでダービーを勝利した際に。


武豊の連載
週刊現代「この馬に聞いた」
スポーツニッポン「サタデー物語」「サンデー物語」(GI時はGIスペシャル手記)
週刊ヤングサンデー 漫画「ダービージョッキー」(原案)

武豊のDVDターフのヒーローシリーズ(1〜11はVHSも)

武豊関連データ

武邦彦調教師の三男で弟武幸四郎騎手は四男。
デビュー当時は「武邦彦の息子」と言われたことに発奮し、「武邦彦の息子ではなく、父のことを『武豊の父』と言わせてみせます!」と発言した。
最も多く勝った重賞は阪神大賞典、京都大賞典、札幌記念の7勝(2006年8月21日現在)。

有馬記念とは相性が悪く、1990年にこれが引退レースとなるオグリキャップで制し感動を呼んだが、それ以来1度も勝利していない。2005年も当時無敗のディープインパクトに騎乗し単勝1.3倍に支持されたが、ハーツクライに1/2馬身差の2着に敗れた。逆に2着が多く(1989年スーパークリーク、1991年メジロマックイーン、1996年・1997年マーベラスサンデー、1999年スペシャルウィーク、2003年リンカーン、2005年ディープインパクトの計7回)、珍記録にもなっている。

有馬記念以上にマイルチャンピオンシップと相性が悪く、バンブーメモリーやファインモーションでの2着があるものの、関西圏でのG1で唯一未勝利である。

競馬学校の2年先輩である石橋守を敬愛している。行動を共にすることがよくあり、石橋がメイショウサムソンでGI初制覇を成し遂げたとき、自分の事のように喜んでいた。

芸能人とも交流があり、とんねるずや明石家さんま、更にはSMAPの中居正広や木村拓哉等とも親交が深い。

笑っていいとも!の名物コーナーであるテレフォンショッキング出演歴あり。1回目は1989年12月21日で早見優から紹介されて佐野量子を紹介し、2回目は2002年1月9日で小泉孝太郎から紹介されて陣内孝則を紹介した。
趣味はゴルフで、ゴルフ誌に登場したこともある。弟幸四郎に愛用のゴルフバッグを壊され激怒したことも。

以前はスキーも趣味だったが、友人の岡潤一郎がレース中の落馬事故で亡くなってからは行かなくなった。

1991年、TBSの2時間ドラマ「拝啓オグリキャップ様」で本人役でドラマ初出演(友情出演)。賀来千香子などと共演した。

佐野量子と1995年に結婚したが、2006年現在も子供に恵まれていない。ちなみに競馬学校の1年先輩である松永幹夫も結婚後しばらく子供には恵まれなかったが2005年に双子が誕生した。
佐野量子との結婚式は京都の教会で伊集院静・篠ひろ子夫妻を立会人に行われた。

佐野量子との披露宴は京都府の都ホテルで行われたが「武豊1000勝記念御礼」も兼ねたものだった。

この結婚式の為に、SING LIKE TALKINGは「Split Of Love」を作曲した。
スポーツニッポン(スポニチ)を愛読しており、同紙・競馬ページにコラム「武豊のサタデー・サンデー物語」を執筆している。そのためかスポニチは彼の騎乗馬の印に甘いと言われる。ディープインパクトに「英雄」と名づけたのもスポニチが最初である。

生粋の阪神タイガースファンでもあり、甲子園で阪神−巨人戦の始球式を務めたこともある。始球式では通常山なりのボールを投げるのだが、見事なストレートを投げてスタンドから歓声が上がった。また、2000年皐月賞前の水曜日に阪神-巨人戦のゲスト解説を務めた際には阪神のジャンバー姿で放送席に座り、皐月賞についてコメントを求められた際には騎乗馬のエアシャカールについて、自信を持っているコメントを残し、見事好騎乗で勝利を収めた。2006年にも金子ホールディングス(ディープインパクトの馬主)の勝負服姿で、甲子園球場で始球式を行った。
1999年、「おごってジャンケン隊」(週刊ビッグコミックスピリッツ)にゲスト出演。最後にジャンケンに負けてしまい、食事代(40,162円)を支払った。

2003年、平井堅「LIFE is ...〜another story〜」のPVに出演。ほんの数秒だが骨折していた骨盤部分も映っている。
「武豊TV!」(フジテレビ739)の司会を務めている(ナビゲーターは見栄晴)。
2005年度上半期NHK朝の連続テレビ小説・「ファイト」に本人の役にて特別出演(9月放映)。
2005年、「ベスト・スマイル・オブ・ザ・イヤー賞」受賞。
2005年、雑誌「Number」が選ぶ2005年度MVP受賞。
読みは違うが字が同じという縁で、愛知県知多郡武豊町(たけとよちょう)には数回招かれ、一日町長を務めたこともある。
現在の愛車は三菱アウトランダー。CM撮影時に気に入りその場で購入交渉、競馬場で納車。

2006年2月23日〜27日にタカシマヤ新宿店にてデビュー20周年記念展が開催され、優勝カップや馬具、プライベート写真などの展示、VTR上映等が行われた。また同年4月19日〜24日に高島屋京都店(四条河原町)で、8月30日〜9月4日に伊勢丹小倉店(北九州市)で同様の展覧会が開催された。2007年2月には高島屋大阪店(なんば)で開催予定。
手首の太さで体重の増減が100g単位で分かる。

ジーパンのサイズは26インチ。
競馬学校時代には食事制限を苦にし、馬の餌のニンジンを食べていたことがある。この時から「ニンジンは馬の餌で人間の食べるものではない」との認識が生まれ、今では嫌いな食べ物となっている。
[
タグ:武豊
posted by 競馬の錬金術師 at 07:34 | Comment(0) | TrackBack(4) | 競馬用語集 た

蹄葉炎(ていようえん)とは

蹄葉炎(ていようえん)とは
馬の蹄の内部は血管が発達していますが、体重が重いこと、心臓から遠い体の末端にあることなどから心臓のポンプ作用でも血液が充分に行き届かないのです。
これを補っているのが蹄機(歩行の際、蹄の負重免重が繰り返され、一種のポンプとして動き、血行を促進する)です。
肢に故障を発症し、動けずに他の肢で長時間負重し続けると、蹄の内部の血液循環が阻害され、蹄の内部に炎症が起こり激しい疼痛を発します。
これが蹄葉炎です。
馬は体重が重く、奇蹄類(蹄が1つ)であるため病勢の進行を止めることは難しく、重症になると予後不良となることがほとんどです。
posted by 競馬の錬金術師 at 01:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

蹄鉄(ていてつ)とは

蹄鉄(ていてつ)とは
馬の蹄に打ちつける鉄板のことです。
下記の種類があります。

・平常鉄(調教用蹄鉄)
 調教と平時の運動に使われるもので、極軟鋼で作られています。
・ニューム鉄(競走用蹄鉄)
 ニューム鉄は勝負鉄ともいわれ、実戦に使われます。
・あいのこ鉄
 爪の悪いもの、鉄の取り外しが困難ものに対して、平常時と
 勝負鉄の両用のアルミニューム製のものです。
posted by 競馬の錬金術師 at 01:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

ツルくび とは

ツルくび とは
パドックで歩いている時、長いクビをツルのように曲げている状態のことををいいます。
レースが迫っていることを感じて、神経をたかぶらせている馬によく見られます。
一見、気合に満ち溢れ、いかにも走りそうな印象ですが、競走能力とはあまり関係はありません。
タグ:ツルくび
posted by 競馬の錬金術師 at 01:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

繁(つなぎ)とは

繁(つなぎ)とは 
蹄の上部と球節の間の部位のことです。
獣医学上の第一指(趾)骨で構成され第二、三指(趾骨)は蹄の中にある。つなぎは馬体の400〜500キロからある負重を受けてこれを和らげる重要な部分です。
posted by 競馬の錬金術師 at 01:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

つつまれる とは

つつまれる とは
レース中に前後、左右に他馬がいて、馬群に入ってしまい、出ることも退くこともできないことをいいます。
「ポケットに入る」ともいいます。
馬の頭数の多いレースでは実力馬もこのような展開になって力を残して負けることもあります。
タグ:つつまれる
posted by 競馬の錬金術師 at 01:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

調整ルームとは

調整ルームとは
騎手は外部との接触を防ぎ、公正な競争を実施するため、騎乗前日の指定された時間までに競馬場・トレーニングセンターに併設されている 調整ルームに入らなければなりません。
なお前日、他の競馬場で騎乗しており、指定された時間までに調整ルームに入ることができない場合には、届出が必要です。
タグ:調整ルーム
posted by 競馬の錬金術師 at 01:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

調教停止とは

調教停止とは
調教師に対する処分のひとつです。

競馬施行規程第125条、第125条の2、第126条及び第127条に規定されています。

1.第125条   競馬の公正を害し、または競走に支障を生
           じさせた調教師は規程により調教停止とな
           る。
2.第125条の2 競馬違反その他競馬の公正を害するおそ
           れがあると認められる刑事事件で起訴され
           た調教師は、その裁判が確定するまでの間
           調教停止となる。
3.第126条   馬主、調教師、騎手、調教助手、騎手候補
           者、厩務員に対し、期間を定めて調教もしく
           は騎乗を停止し、戒告または10万円以下 
           の過怠金を徴収する。対象事項は、馬の登
           録、馬主の名義、騎手・調教師の免許、レ 
           ース時の手続き、騎乗、禁止薬物等、広い
           範囲での各規程違反。
4.第127条   裁定委員会の議定あるまでの間の調教停
           止について定めている。
タグ:調教停止
posted by 競馬の錬金術師 at 01:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

調教師とは

調教師とは
馬主から馬を預り、馬を管理・調教をし、レースに出走させる責任者のことです。トレーナーともいいます。
タグ:調教師
posted by 競馬の錬金術師 at 01:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

調教とは

調教とは
馬を訓練することです。
2歳馬の秋から鞍付、騎乗から始まり競走に必要なことをおぼえさせることです。
調教のことを攻め馬(責馬)ともいいます。
タグ:調教
posted by 競馬の錬金術師 at 01:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

着順とは

着順とは
ゴール(決勝線)への到達順位のことです。
着順は馬の鼻先が決勝線に到達した順位となります。
脚が先に出ていたりしても着順には関係ありません。
ばんえい競走ではソリの一番後ろがゴールを越えたときが
到達順位になります。
タグ:着順
posted by 競馬の錬金術師 at 01:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

着差とは

着差とは
先に決勝線を越えた馬の鼻先から次の馬の馬の鼻先までの間隔のことです。
着差はハナ、アタマ、クビ以外は1/2、3/4、1 、11/2、2、2 1/2というように馬身で表わされます。
10馬身を越える着差は「大差」といいます。
タグ:着差
posted by 競馬の錬金術師 at 01:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

父内国産馬とは

父内国産馬とは
サラブレット系の馬の父親が内国産馬の馬のことです。
タグ:父内国産馬
posted by 競馬の錬金術師 at 01:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

ダークホースとは

ダークホースとは
もともとは、能力のよく判らない馬という意味ですが、競馬では、うまくすれば勝てる高配当間違いなしの馬、つまり穴馬をさします。
posted by 競馬の錬金術師 at 01:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

タテ目とは

タテ目とは
連勝複式の勝馬投票券で1−2、1−3を買ったが、結果は1が消えて2−3となったような場合の2−3うをタテ目という。
「タテ目をくった」などと表現します。
タグ:タテ目
posted by 競馬の錬金術師 at 01:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た

タイムオーバーとは

タイムオーバーとは
レースごとに、タイムの制限が決められている。
この時間を超えた場合には、次のレースには出走できなくなることをいう。
posted by 競馬の錬金術師 at 01:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 た
SEO|SEO対策 SEO対策でアクセスアップ