松永 幹夫とは


松永幹夫とは


松永 幹夫(まつなが みきお、1967年4月10日 - )は日本中央競馬会(JRA)の元騎手で、現在は調教師である。血液型はO型、熊本県合志市(旧・菊池郡西合志町)出身。

童顔で甘いマスクを持ち、デビュー直後から女性ファンが多くついた。いわゆるアイドル視される騎手のはしりで、競馬場に多くの若い女性が訪れるきっかけともなった。名前をもじってミッキーという愛称でも呼ばれる。

松永 幹夫の来歴JRAの競馬学校の第2期生。1986年にデビュー。同期には横山典弘、熊沢重文らがいる。初騎乗は1986年3月1日、阪神競馬第1競走のインターアビリティで、13頭立ての12着だった。初勝利は同年3月23日、阪神競馬第7競走で、ツルマイスワローに騎乗してものであった。

1988年の函館3歳ステークスをサザンビーナスで制して重賞初勝利。1991年にはイソノルーブルで優駿牝馬(オークス)を制しGI初勝利。

松永 幹夫はその後も活躍を続けるがゼネラリストの調教中に落馬事故で腎臓を摘出し、休養に入る。復帰後、1996年の第1回秋華賞をファビラスラフインとのコンビで快勝。翌1997年には、キョウエイマーチに騎乗して桜花賞に勝利。しかも同期で後に二冠牝馬となるメジロドーベルを破ってのものである。秋シーズンでも秋華賞をメジロドーベルの2着、マイルチャンピオンシップでもタイキシャトルの2着と好走した。

松永 幹夫は2000年にはチアズグレイスで桜花賞を、ファレノプシスでエリザベス女王杯を制した。現役騎手時代に牝馬限定GIで勝てなかったレースは、2歳GIの阪神ジュベナイルフィリーズのみであった。

松永 幹夫はこのように牝馬限定重賞で活躍することが多いため「牝馬の松永(ミキオ)」と呼ばれることもある。また、ダートの短距離での逃げ・先行のうまさには定評がある。その反面、(腰痛の持病もあり)追込脚質の馬を苦手とした。1997年の牡馬クラシックで主役を張ったメジロブライトはまさにその典型で、勝てたのはラジオたんぱ杯3歳ステークスと共同通信杯4歳ステークスのみで、本番ではサニーブライアン(皐月賞、東京優駿)とマチカネフクキタル(菊花賞)に敗れ、松永も菊花賞を最後にメジロブライトの鞍上を下りることとなる。(菊花賞の次走からは河内洋が騎乗)

かといって松永 幹夫は牡馬がまったくダメだったというわけではなく、ダートで活躍したカネツフルーヴやレギュラーメンバー、素質は認められながら脚部不安で大成し切れなかったマイシンザンなども松永が騎乗していた。

松永 幹夫は2005年にはヘヴンリーロマンスに騎乗し、天皇賞(秋)を制した。これは松永自身、牝馬限定以外では初のJRAGI勝利(※1)である。所属厩舎でのJRAGI初勝利、エアグルーヴ以来の牝馬の天皇賞制覇、3連単の配当が100万円を超えるなど、記録ずくめの勝利となった。またこの競走は、日本の中央競馬史上初めて、天覧競馬として施行され、ヘヴンリーロマンスで優勝を決めた後、メインスタンドの特設会場で観戦した天皇・皇后両陛下に向かい、馬上から(※2)、ヘルメットを脱いで敬礼をした。レース後、「天皇賞も牝馬で勝ったのが自分らしい」とコメントした。

松永 幹夫は2006年度JRA調教師試験に合格したためわずか38歳で鞭を置くこととなった。調教師試験は競馬関係者にとっても非常に難関な試験として有名である(中には10回以上受験した者もいる)が、わずか1回の受験で見事に合格した。本人としては、若くて元気のある内に調教師になりたかったと語っているが、2007年に自分の所属する山本正司調教師が定年により厩舎を解散することが決定していたことも大きいといわれている。

松永 幹夫は騎手としての最終騎乗日となった2006年2月26日の阪急杯でブルーショットガンに騎乗して優勝、続く最終競走でもフィールドルージュで勝利し、JRA通算1400勝を飾るというあまりにも劇的な有終の美を飾った。最終騎乗日に重賞に勝ったのは1975年2月16日の野平祐二が目黒記念でカーネルシンボリに騎乗して勝利した例がある。

今後は1年間技術調教師として活動し、上述のように2007年2月で引退する師匠の山本の後を継ぐことになる。


松永 幹夫の成績

松永 幹夫の騎手成績JRA通算 12416戦1400勝(うち重賞54勝、GI6勝)
地方競馬通算 191戦32勝(うちGI5勝)

松永 幹夫のGI競走勝利一覧及び当該競走における騎乗馬(年度別)
(カッコ内は騎乗馬名。また、斜字は統一GIを指す)

1991年
優駿牝馬(イソノルーブル)
1996年
秋華賞(ファビラスラフイン)
1997年
桜花賞(キョウエイマーチ)
2000年
桜花賞(チアズグレイス)、ダービーグランプリ(レギュラーメンバー)、エリザベス女王杯(ファレノプシス)
2001年
川崎記念(レギュラーメンバー)、JBCクラシック(レギュラーメンバー)
2002年
帝王賞(カネツフルーヴ)
2003年
川崎記念(カネツフルーヴ)
2005年
天皇賞(秋)(ヘヴンリーロマンス)

松永 幹夫のエピソード牝馬のミッキーと言われているが実際に「この馬はGIを勝てる」と意識したのは1987年、藤森特別のある芦毛馬(タマモクロス)であるらしい。しかし、その馬は南井克巳が主戦騎手だったのであきらめざるを得なかったとか。
武豊とともに子供が生まれない夫婦として有名だったが、2005年に双子が誕生し、父親となった。
1000勝で調教師試験の一次試験が免除となる規定が廃止された2003年以降、調教師試験を一発合格した1000勝以上の現役騎手は松永が初めてである。
騎手として最後の騎乗となった2006年2月26日は、出身地である熊本県西合志町が隣の合志町と合併し合志市となるのに伴い、西合志町として最後の日でもあった。
※1 ダートグレード競走では、カネツフルーヴ(帝王賞、川崎記念)、レギュラーメンバー(ダービーグランプリ、川崎記念、JBCクラシック)と山本正司厩舎所属の牡馬でGIを勝利している。
※2 騎乗馬が故障した場合を除き、競走後にコース内で騎手が下馬することは禁止されている。





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宮下瞳とは


宮下瞳とは


宮下 瞳(みやした ひとみ、1977年5月31日 - )は名古屋競馬場竹口勝利厩舎所属の騎手である。本名は小山瞳。鹿児島県鹿児島市出身。兄は元騎手の宮下康一(名古屋→新潟→上山→金沢)。夫は名古屋競馬場所属の騎手小山信行。

1995年10月22日の名古屋競馬第1競走で初騎乗(9着)。初勝利は同年10月24日名古屋競馬第6競走。

2005年7月18日の名古屋競馬第1競走をアジャイルスーパーで優勝し、通算351勝を達成。吉岡牧子が保持していた日本における女性騎手最多勝記録(350勝)を更新した。

2005年11月3日に名古屋競馬場で行われたJBCのテレビ中継にゲストとして出演。仕掛けどころをアナウンサーに聞かれ、「3コーナー」と断言。更に「3コーナー手前か過ぎか?」との質問に「3コーナーです」とキッパリ宣言した。なお、この日、両GIに騎乗馬無し。

2006年3月3日の名古屋競馬第7競走の旅人1歳記念で1番人気のマグマチャンプに騎乗し優勝、通算400勝目を飾り、自らの日本人女性騎手最多勝利数を更新中である。

2006年6月6日の名古屋競馬第2競走では自身の騎乗馬であるヘイセイチャンスと夫の小山信行の騎乗馬メイショウタンドルが1着同着になるという珍しい記録を達成した。




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メイショウサムソンとは


メイショウサムソンとは

メイショウサムソン
2006年5月28日 東京競馬場
性別 牡
毛色 鹿毛
品種 サラブレッド
生誕 2003年3月7日
死没 現役競走馬
父 オペラハウス
母 マイヴィヴィアン
生産 林孝輝
生国 日本(北海道浦河町)
馬主 松本好雄
調教師 瀬戸口勉(栗東)
競走成績 13戦6勝
獲得賞金 4億8665万9000円

メイショウサムソンは日本の競走馬。2006年の皐月賞・東京優駿(日本ダービー)の優勝馬。


メイショウサムソンのデビュー前
生まれたのが家族経営の零細牧場で、血統も父がオペラハウス、母は未勝利馬という事から地味なイメージで、なおかつ母の父もダンシングブレーヴと、最近のスピード重視の競馬の中にあっては、スタミナ型の重厚と言える血統のためかあまり注目されず、目立たない馬であった。

とある調教師がこの仔馬に素質を感じ、馬主に購入するよう推薦するも、地味な血統ゆえに断られたというエピソードもある。なかなか買い手がつかなかったが、調教師である瀬戸口勉の勧めにより「メイショウ」の冠名で有名な松本好雄が購入した。価格は700万円。後に瀬戸口勉厩舎に入厩。

瀬戸口はメイショウサムソンのデビュー時に武豊と福永祐一に騎乗を依頼したが、それぞれ先約があったため断られた。代わりにベテラン格の騎手である石橋守にその手綱を委ねることになる。


メイショウサムソンの戦績デビュー戦から全レースで主戦騎手の石橋守が騎乗している。

2歳夏の小倉競馬場でデビューするが、新馬戦はアタマ差2着に惜敗。次の未勝利戦も3着で、3戦目で初勝利を挙げる。続く阪神競馬場で行われた野路菊ステークスでも、出走馬中最速の上がり3ハロン(35秒0)で勝利する。その後萩ステークスにも出走するが、2歳王者になるフサイチリシャールの4着に敗れる。さらに東京スポーツ杯2歳ステークスでも、フサイチリシャールの2着に敗れてしまう。その後、中京2歳ステークスを1分47秒5のレコードで快勝して2歳時を終える。2歳時の通算成績は7戦3勝。この時点では翌2006年のクラシック路線の一翼を担うことは期待されるも、決してその中心的な存在とは言えなかった。

年が明けて3歳になり、きさらぎ賞から始動するが、ドリームパスポートの2着に敗れる。続いて出走したのはスプリングステークス。ここでは既に後塵を拝していたフサイチリシャール、ドリームパスポートが1、2番人気に支持され、メイショウサムソンは4番人気にとどまる。しかし、直線では一足早く抜け出すと、相次いで追い込んできた2頭をぐっと頭を伸ばして抑えこみ、重賞初制覇を飾った。スプリングステークスの後にフサイチリシャールに騎乗していた福永祐一が「メイショウサムソンが思った以上に強くなっていた」と雑誌のコラムに書いている。

これで皐月賞の優先出走権を獲得して勇躍本番に挑むが、多くの競馬ファンや予想家は前走の勝利をレース展開の恵まれやフロックと考えており、単勝馬券は6番人気の穴馬扱いであった。しかし、そのレースでは、落ち着きを見せて5番手で折り合いをつけると、第4コーナーでは3番手に上がり、他の人気馬よりも再び早く抜け出す。今度は直線で前走ほどの接戦にはならず、内ラチ沿いを猛追してきたドリームパスポートを抑えこみ、クラシックの栄冠を手に入れた。石橋にとっては騎手生活22年目での悲願のGI初制覇であり、瀬戸口にとってもネオユニヴァースに続く2回目の皐月賞制覇、そして定年を翌年に控えてのクラシック制覇となった。

更に1番人気で迎えた東京優駿(日本ダービー)は、稍重の馬場の中、道中は先行集団につけ、直線において逃げ粘るアドマイヤメインをクビ差で差しきり2分27秒9のタイムで優勝した。前年のディープインパクトに続き、この時点における二冠馬となった。なお、小倉競馬場デビュー馬の東京優駿(日本ダービー)制覇は、これが史上初のことである。

秋は菊花賞に向けての緒戦に神戸新聞杯を選択した。最後の直線では類稀なる勝負根性を見せ、並んでいた2頭を交わし先頭に立ったものの、最後には大外から一気に追い込んできたドリームパスポートに交わされ2着となった。

菊花賞では三冠を期待され1番人気に推されたが、逃げるアドマイヤメインを猛追するも届かず、ドリームパスポート、伏兵ソングオブウインドにも差され4着となり、三冠制覇はならなかった。レコードが連発する速い馬場に対応できなかったという見方もあった。


メイショウサムソンの競走成績
年月日 競馬場 競走名 格 距離 人気 着順 騎手 斤量 1着(2着)馬
2005年7月31日 小倉 2歳新馬 芝1800 4人 2着 石橋守 54 グロリアスウィーク
8月20日 小倉 2歳未勝利 芝1800 2人 3着 石橋守 54 エイシンチャンドラ
9月4日 小倉 2歳未勝利 芝1800 1人 1着 石橋守 54 (キングエンペラー)
9月18日 阪神 野路菊ステークス OP 芝1600 1人 1着 石橋守 54 (タガノマーシャル)
10月29日 京都 萩ステークス OP 芝1800 2人 4着 石橋守 56 フサイチリシャール
11月19日 東京 東京スポーツ杯2歳ステークス GIII 芝1800 5人 2着 石橋守 55 フサイチリシャール
12月17日 中京 中京2歳ステークス OP 芝1800 2人 1着 石橋守 57 (トップオブツヨシ)
2006年2月12日 京都 きさらぎ賞 GIII 芝1800 1人 2着 石橋守 57 ドリームパスポート
3月19日 中山 スプリングステークス GII 芝1800 4人 1着 石橋守 56 (フサイチリシャール)
4月16日 中山 皐月賞 GI 芝2000 6人 1着 石橋守 57 (ドリームパスポート)
5月28日 東京 東京優駿(日本ダービー) GI 芝2400 1人 1着 石橋守 57 (アドマイヤメイン)
9月24日 中京 神戸新聞杯 GII 芝2000 1人 2着 石橋守 56 ドリームパスポート
10月22日 京都 菊花賞 GI 芝3000 1人 4着 石橋守 57 ソングオブウインド


メイショウサムソンの名前の由来
「メイショウ」は明石市生まれである馬主の「明石の松本」に由来する冠名、「名将」ともかけている。また、「サムソン」は旧約聖書に登場する怪力の持ち主として知られる士師から。直木賞作家の新橋遊吉が「こんな名前どうか」と、オーナーの松本に書き送ったなかの一つにこの名前が含まれていた。


メイショウサムソンの血統表

メイショウサムソンの血統 (Sadler's Wells系(ノーザンダンサー系)、Northern Dancer 3×4=18.75%)


*オペラハウス
Opera House 1988
鹿毛 イギリス Sadler's Wells 1981
鹿毛 アメリカ Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fairy Bridge Bold Reason
Special
Colorspin 1983
鹿毛 イギリス High Top Derring-Do
Camenae
Reprocolor Jimmy Reppin
Blue Queen


マイヴィヴィアン 1997
鹿毛 北海道静内町 *ダンシングブレーヴ
Dancing Brave 1983
鹿毛 アメリカ Lyphard Northern Dancer
Goofed
Navajo Princess Drone
Olmac
ウイルプリンセス 1983
鹿毛 北海道静内町 *サンプリンス
Sun Prince Princely Gift
Costa Sola
エール *フォルティノ Fortino
ガーネツトF-No.3-l




近親:ノーザンプリンセス(母の姉、3勝)
牝系:ガーネツト(有馬記念、天皇賞(春))
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マイルチャンピオンシップとは


マイルチャンピオンシップとは

マイルチャンピオンシップは、日本中央競馬会 (JRA) が京都競馬場の芝1600mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。

秋のマイラーチャンピオン決定戦として位置づけられているレース。タイトルにある「マイル」とは1マイルのことで、本来1マイルは1609mであるが、日本の競馬では概ね10m以下の端数数値を切り捨てて計算するためこのレースも1600mでの開催となっている。


マイルチャンピオンシップの歴史

1984年に中央競馬にグレード制が導入された時に、短距離路線が整備され、1マイルのチャンピオン決定戦として、春は安田記念がグレードワンに指定され、秋はこの競走がグレードワンとして新設された。

過去には最も荒れないグレードワン(創設から1994年までは1番人気の連対率は100%だった)と言われたが1995年に2着に16番人気のメイショウテゾロが突っ込み、馬連は10万馬券の大波乱となり、2000年には13番人気のアグネスデジタルが優勝するなどここ最近は荒れるレースも多く見られる。

1998年から外国馬の参戦が可能となり、2003年に初めて外国馬が参戦した。2004年から国際グレードワンレースに指定された。


マイルチャンピオンシップの主な前走
競走名 格付 団体 施行競馬場 施行距離
1 スプリンターズステークス GI 中央 中山競馬場 芝1200m
2 富士ステークス GIII 中央 東京競馬場 芝1600m
3 スワンステークス GII 中央 京都競馬場 芝1400m
4 天皇賞(秋) GI 中央 東京競馬場 芝2000m


マイルチャンピオンシップの歴代優勝馬
回数 施行日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1984年11月18日 ニホンピロウイナー 牡4 1:35.3 河内洋 服部正利 小林百太郎
第2回 1985年11月17日 ニホンピロウイナー 牡5 1:35.3 河内洋 服部正利 小林百太郎
第3回 1986年11月16日 タカラスチール 牝4 1:35.3 田島保良 坂本栄三郎 村山義男
第4回 1987年11月22日 ニッポーテイオー 牡4 1:34.9 郷原洋行 久保田金造 山石祐一
第5回 1988年11月20日 サッカーボーイ 牡3 1:35.3 河内洋 小野幸治 (有)社台レースホース
第6回 1989年11月19日 オグリキャップ 牡4 1:34.6 南井克巳 瀬戸口勉 近藤俊典
第7回 1990年11月18日 パッシングショット 牝5 1:33.6 楠孝志 橋田満 森本忠治
第8回 1991年11月17日 ダイタクヘリオス 牡4 1:34.8 岸滋彦 梅田康雄 中村雅一
第9回 1992年11月22日 ダイタクヘリオス 牡5 1:33.3 岸滋彦 梅田康雄 中村雅一
第10回 1993年11月21日 シンコウラブリイ 牝4 1:35.7 岡部幸雄 藤沢和雄 安田修
第11回 1994年11月20日 ノースフライト 牝4 1:33.0 角田晃一 加藤敬二 (有)大北牧場
第12回 1995年11月19日 トロットサンダー 牡6 1:33.7 横山典弘 相川勝敏 藤本照男
第13回 1996年11月17日 ジェニュイン 牡4 1:33.8 岡部幸雄 松山康久 (有)社台レースホース
第14回 1997年11月16日 タイキシャトル 牡3 1:33.3 横山典弘 藤沢和雄 (有)大樹ファーム
第15回 1998年11月22日 タイキシャトル 牡4 1:33.3 岡部幸雄 藤沢和雄 (有)大樹ファーム
第16回 1999年11月21日 エアジハード 牡4 1:32.8 蛯名正義 伊藤正徳 (株)ラッキーフィールド
第17回 2000年11月19日 アグネスデジタル 牡3 1:32.6 的場均 白井寿昭 渡辺孝男
第18回 2001年11月18日 ゼンノエルシド 牡4 1:33.2 O.ペリエ 藤沢和雄 大迫忍
第19回 2002年11月17日 トウカイポイント 騸6 1:32.8 蛯名正義 後藤由之 内村正則
第20回 2003年11月23日 デュランダル 牡4 1:33.3 池添謙一 坂口正大 吉田照哉
第21回 2004年11月21日 デュランダル 牡5 1:33.0 池添謙一 坂口正大 吉田照哉
第22回 2005年11月20日 ハットトリック 牡4 1:32.1 O.ペリエ 角居勝彦 (有)キャロットファーム


第22回マイルチャンピオンシップ2005年11月20日 京都競馬場  芝1,600m 
サラ系3歳以上(国際)(指定)
負担重量:3歳56kg 4歳以上57kg 牝馬2kg減
優勝馬 ハットトリック(オリビエ・ペリエ騎手)


武豊とマイルチャンピオンシップ

武豊騎手はこのレース未勝利である。他の未勝利GIにはヴィクトリアマイル、朝日杯フューチュリティステークスもあるが、ヴィクトリアマイルは2006年新設競走、朝日杯は「年によっては香港国際競走遠征」、「有力馬はクラシックを意識してラジオNIKKEI杯2歳ステークスへ」という事情が影響している。

しかし、マイルチャンピオンシップに関しては、バンブーメモリー、ファインモーション、アドマイヤマックスといった有力馬にも恵まれ、地元関西開催ながら何故か勝てない。

中央競馬のグレードワン競走
フェブラリーステークス | 高松宮記念 | 桜花賞 | 中山グランドジャンプ | 皐月賞
天皇賞(春) | NHKマイルカップ | ヴィクトリアマイル | 優駿牝馬 | 東京優駿 | 安田記念
宝塚記念 | スプリンターズステークス | 秋華賞 | 菊花賞 | 天皇賞(秋)
エリザベス女王杯 | マイルチャンピオンシップ | ジャパンカップダート | ジャパンカップ
阪神ジュベナイルフィリーズ | 朝日杯フューチュリティステークス | 中山大障害 | 有馬記念


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森秀行調教師とは


森秀行調教師とは

森 秀行(もり ひでゆき、1959年3月12日 - )は大阪府出身の日本中央競馬会(JRA)の調教師。栗東トレーニングセンター所属。

戸山為夫厩舎で厩務員、調教助手を経て1993年に調教師免許を取得し、師匠である戸山の死去に伴い同厩舎を引き継いで開業。初出走は同年9月25日の中山競馬第9競走でのミツルマサル(9着)、初勝利は10月24日の東京競馬第9競走でのミツルマサル(延べ7頭目)であった。なお、厩舎引き継ぎに際し、故障休養中であった所属馬ミホノブルボンは転厩した。

無駄を省いた合理的な育成と出走レース選びで数々の名馬を育て上げ、開業2年目でJRA賞(最高勝率調教師・優秀技術調教師)を受賞するほか、2001年には最多勝利調教師になるなど、トップ調教師の一人に挙げられる。また、海外や地方にも積極的に遠征し、1995年にはフジヤマケンザンで香港国際カップに勝利し、日本調教馬としては36年ぶりの海外重賞制覇を達成した。また、エアシャカールでは二冠を達成している。


主な管理馬
レガシーワールド(1993年ジャパンカップ優勝)
フジヤマケンザン(1995年香港国際カップ優勝)
シーキングザパール(1997年NHKマイルカップ、1998年モーリス・ド・ゲスト賞優勝)
アグネスワールド(1999年アベイユ・ド・ロンシャン賞、2000年ジュライカップ優勝)
エアシャカール(2000年皐月賞、菊花賞優勝)
ノボトゥルー(2001年フェブラリーステークス優勝)
スターキングマン(2003年東京大賞典優勝)

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松沢俊夫とは

松沢俊夫とは

競馬評論家。東京都出身。父は元ジョッキー。

経歴
幼少の頃から馬と接して育つ。1951年、競馬専門紙の競馬研究に入社。以降、ラジオ関東(現・ラジオ日本)、ラジオたんぱ(現・ラジオNIKKEI)の解説者を経て、1985年から2002年まで「中央競馬ワイド中継、中央競馬ハイライト(ともに独立UHF放送局)」に出演した。

なお、その後はグリーンチャンネルでの調教解説を担当している。

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見習騎手とは

見習騎手とは

騎手免許を取得して間もない騎手のことです。

国によっては見習騎手を対象とした免許を発行し、一定期間経過後にその間の騎乗実績などを考慮したうえで本免許に切り替える、といったシステムを採っているところもある。また、フランスなど見習騎手によるランキングで表彰する国・主催者もある。

なお、かつての日本では騎手免許取得を目指し調教師に弟子入り中の者と騎手免許取得から間もない者をあわせて「見習騎手」と呼んでいた。

見習騎手は重賞での騎乗が制限される場合がある。また、ドバイ・マカオでは毎年見習騎手による招待競走が行われている。

中央競馬の見習騎手
日本の中央競馬においては、騎手免許取得3年未満で通算勝利数100回以下の騎手のことを指す。競馬用語ではアンチャンとも言われる(若手騎手と呼ぶ場合は見習騎手以外の騎手をも含む場合が多い。詳細は後述)。

騎手免許を取得したばかりの騎手は技術も未熟である。ベテランの騎手と同一の条件でレースをした場合どうしても不利になる。そのためハンデとして、見習騎手に対しては負担重量を勝利度数に応じて減量する制度がある。これを減量騎手と言う。この制度はハンデキャップ競走と特別競走(重賞競走も含まれる)には適用されない。

JRA発行のレーシングプログラム、競馬新聞、スポーツ新聞等に掲載される出走表には、▲、△、☆の印で減量されていることを表している。現在は

印 減量 条件
☆ 1kg 51勝以上100勝以下
△ 2kg 31勝以上50勝以下
▲ 3kg 30勝以下

となっている。

この制度が適用されるのは3年目までなので、3年を過ぎると勝利度数に関わらず減量の特典は無くなる。デビューから3年の間はこの減量を活かして成績を残す騎手もいる。
そういった騎手は減量が無くなっても将来的には騎乗依頼も多くなる。逆に減量の特典がある間に成績を残せなかった場合は、減量が無くなった場合に騎乗依頼が少なくなるというのが現状である。実際に減量があるので若手騎手を起用するといった関係者は多い。
これまであまり良い成績を残せていなかった馬が減量によってレースに勝ったという事例は少なくない。俗に斤量が1kg軽いと1馬身違うと言われている。1980年代前半まではオープンクラスの一般競走もあったため、一線級の馬が出走する際の斤量を減らすために見習騎手で挑むこともよく行われた。

1980年代以前は単に騎手免許取得3年未満の騎手のことを見習騎手と呼んでおり、当時は減量に関する勝利数の上限も存在せず、デビュー3年未満であればどれだけ勝利していても1kg減の恩恵を受けることができた(2kg・3kg減には勝利数の上限が存在した)。

しかし1980年代後半に入り、武豊を始めとする当時の若手騎手がデビュー直後から数多くの勝利を挙げるようになったことから、「ベテラン騎手以上の勝利数を挙げている騎手に減量の恩恵を与えるのは制度の趣旨に反する」などの意見が高まり、1990年頃に制度が改正され現在のような勝利数の上限が設けられるに至っている。

2004年には勝利度数の規定が変更され、▲が「20勝以下」→「30勝以下」、△が「21〜30勝」→「31〜50勝」、☆が「31〜100勝」→「51〜100勝」となっている。

また、JRAの内規により通算勝利数が31勝に満たない騎手はGI競走に出走することができない。

若手騎手
中央競馬においては、騎手免許取得6年未満であって通算勝利度数100回以下の騎手のことを若手騎手と呼ぶ。

中央競馬には2004年より若手騎手限定競走が設けられている。この競走は競馬開催日の午前中のレースに組まれることが多い(未勝利戦がほとんど)。上記で述べた減量制度も適用される。

地方競馬の見習騎手
地方競馬における見習騎手の取り扱いは中央競馬と異なる。減量の対象となる勝利度数も主催者ごとに開催日数が異なるため差がある。女性騎手に対して常に1kg減量する主催者もあるため平地競走では最大4kg減量となる場合がある。また、免許期間が3年に満たさず、かつ勝数が規定に満たない場合でも減量解除申請を行い受理されれば減量は解除される。

ばんえい競馬
印 減量 条件
☆ 10kg 通算勝利度数が50勝未満の騎手、免許取得5年以下で通算勝利度数が50勝以上100勝未満の騎手については当該年度で10勝未満の騎手、あるいは女性騎手
△ 20kg 通算勝利度数が50勝未満の女性騎手、または免許取得5年以下で通算勝利度数が50勝以上100勝未満の女性騎手については当該年度で10勝未満の女性騎手

(減量条件の変更は出馬投票ごとに行われる。規定の勝数となっても、出馬投票が完了している競走では減量条件の変更はない。)

名古屋競馬場・笠松競馬場
印 減量 条件
☆ 1kg 新規免許取得日から2年以上、3年未満もしくは80勝未満
△ 2kg 新規免許取得日から1年以上、2年未満もしくは50勝未満
▲ 3kg 新規免許取得日から1年未満もしくは25勝未満
★ 4kg 新規免許取得日から1年未満もしくは25勝未満の女子

(減量条件の変更は開催ごとに行われる。開催の途中で規定の勝数となっても減量条件の変更は次回の開催からとなる)

佐賀競馬場・荒尾競馬場
印 減量 条件
☆ 1kg 新規免許取得日から2年以上、3年未満もしくは100勝未満
△ 2kg 新規免許取得日から1年以上、2年未満もしくは60勝未満
▲ 3kg 新規免許取得日から1年未満もしくは40勝未満
★ 4kg 新規免許取得日から1年未満もしくは40勝未満の女子

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持ちタイムとは

持ちタイムとは  

ある馬がある距離のレースで出した最も速いタイムのことをいいます。

その馬の最高能力と考えられます。
例えば「1400bの持ちタイムは1分27秒2」のように使われます。
タグ:持ちタイム
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モンキー乗りとは

モンキー乗りとは

鐙を短くして、膝を前に出し、尻を鞍から離し、前傾姿勢で追う騎乗フォームのことです。木の枝にモンキー(猿)がまたがったように見えるところからこう呼ばれています。
馬のスピードを出すことが出来るため、現在の騎手はほとんどモンキースタイルです。
posted by 競馬の錬金術師 at 03:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬用語集 ま
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